裁判の流れ〜確定まで

 特別養子縁組裁判の大まかな流れ

<3月>
ハッチ我が家に来る!
家庭裁判所へ申立書を持って行く。

<4月>
家裁より、照会書が郵送される。

出廷日にぱぱっち、ままっち、ハッチの3人で出廷する。
貯金通帳、給与明細、源泉徴収、育児日誌のコピーを取られる。
両親がどう思っているかとか、ハッチの日常の話など2時間程で終わる。
ハッチの日常がわかるような写真も持って行った。

家裁の調査官の家庭訪問があった。
部屋の様子やハッチの様子を聞かれた。(30分位)
同居児童の届」のことで、児相に電話するように言われた。

<5月>
児童相談所に「同居児童の届」を出しに行く。
(届けは電話で郵送してもらうように頼んだ)
民間に申し込んだ理由やハッチの日常をお話した。(1時間位)
児相の担当者が家庭訪問に来る。
母子手帳を見せ、順調に育っていることを話す。(1時間位)

<9月>
児相の担当者の家庭訪問
があった。(1時間位)
ハッチの日常を話したり、離乳食の話などをした。

<10月>
家裁の調査官の移動で担当者が替わったので、新しい調査官が家庭訪問
(ぱぱっちも一緒でお願いしますとのこと)
部屋をざっと見て、ハッチの日常や家族はどう思っているかを聞かれた。
ぱぱっちがずっとハッチを抱っこしていた。
母子手帳の検診や予防接種の部分のコピーを取りたいと言われたので
家のプリンターでコピーして渡した。(30分程度)

★家裁の調査官の家庭訪問が2回、
児相の担当者の家庭訪問が2回だった。

<11月>
確定書が届く!
念願の戸籍入籍!ハッチは「長男」となる。

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★確定した日のハッチとままっち

<12月>
ぱぱっちの会社に住民票を提出し健康保険にハッチも加入できた。

なので、国民健康保険証を役所に返しに行った。

ここで、本当に一安心した。姓字も一緒、もう何も心配ないね!

これですべての手続きが済んで、もう役所に来る事も当分ないだろうと
駐車場で空を見上げると・・・大きな「V」の形の雲が浮かんでいた。
(Victory)

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★Victoryの「V」の形の雲


用意したもの

< ハッチが産まれて該当の電話を頂き準備した物>

洗える布団セット、敷シーツ、掛カバー、防水シーツ、シンクバス
スキナベーブ(沐浴剤)、泡ソープ、湯上りタオル、沐浴ガーゼ
ゴミペール、調乳ポット、哺乳瓶消毒ケースと消毒液、育児日記
ブラシセット、爪ハサミ、体温計、綿棒、ベビーオイル、ガーゼ
アフガン、ベビードレス、ベビー服、長短下着、スタイ、命名用紙
哺乳瓶120ml×2、160ml×2、哺乳瓶用スポンジブラシ、温度計
紙オムツ、お尻拭き、粉ミルク(明治のほほえみ)、おむつ替えマット


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出生届はうちの住所で出されていたため、転入届は必用なく国民健康保険に
加入するために住民票を取る。
まだ姓は違うがうちの住民票に入っている。

国民健康保険の申し込みをし、翌日はがきが届いたので引落し口座の
はがきと一緒に持って行き国民健康保険証医療証を発行してもらった。

あと、近くのこどもクリニックに電話をして、一ヶ月検診の予約をした。
子供はこれから特別養子縁組の申請をして、保険証と医療証はありますと
言ったら、OKだった。


面接から一年で該当

 民間に養子の申し込みをして面接をしていただき約一年後に該当の
電話を頂きました。

準備するものは書き出しておいたので、特に迷うことも困ることも
ありませんでしたがなにしろ、特別養子縁組の申立てと裁判という
響きがとても大きなものとなっていて、子育てがどうのとかいうよりも、
呼び出しの日は絶対にぱぱっちに休みを取ってもらわないといけない
ので、家裁に申立てに行くのをいつにするかその日ハッチをどうするか・・・
そのことで頭がいっぱいでした。

その晩、夜寝る時にトライアスロンという声が自分の中心から聞こえました。

まず一つ、養子を迎えること・・・それはクリアしたけど、次は裁判だよね。
でもトライアスロンということは、次から次にチャレンジすることが待って
いるということ?と思って裁判のことで頭が一杯の私にはちょっと
プレッシャーとしかいいようがない言葉でした。

でもひとつずつクリアしていくしかないし・・・。


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新生児を預かってもらうのはなかなか難しいようで、こんな小さいうち
からチャイルドシートに乗せていくのもな・・・と思っているとうまいこと
ぱぱっちが平日休みになったので私一人で車で家庭裁判所へ向かい
難なく申立てをすることが出来ました。

該当の電話を頂いてからハッチを迎えるまで9日間ありましたので
その間にベビー用品を揃えました。

あともう一つ少し不安だったのがお風呂
色々考えシンクバスを買いました。
結局生後7ヶ月くらいまでこのシンクバスを使えたのでなかなか
良かったと思います。

会の方に沐浴のさせ方を教えて頂きましたが、スキナベーブという
沐浴剤の動画をネットで見たのもとても練習になるというかイメージが
出来てよかったです。
最初はそのスキナベーブを使い、少し慣れてから泡の出る
ボディーソープで洗うようにしました。

ひとりで沐浴させる自信がない!という方はそういう方法も
あります。動画を見ながらぬいぐるみでイメージトレーニング♪


民間へ申し込み

 ぱぱっちに養子を育てたいということを話すと最初は「大丈夫か?」
という感じであまり大賛成という感じではありませんでしたが、私が
決めたら言うことを聞かないのを分かっているのか、しぶしぶOKという
感じで民間に申し込みました。

面接では合否は分かりませんでしたが、縁があれば来るし
縁がなければ来ないそう思いました。
やるだけのことはやれば後悔はないだろうと・・・。

申し込みをしてから面接までは一ヶ月位でスムーズでした。
とにかく最低でも二年は待とうと思っていました。

結局、該当の連絡は面接から約一年後にあったのですが、その
待っている一年間はまたとても意味があって、リーディングで言われた
自分の生まれた目的が「子供と関わること」ともう一つが「自分の再発見」
と二つだったのですが、この「自分の再発見」の意味を感じることが
できる一年となりました。

まあ、色々不思議な事が起こったのですが、一番インパクトが
強かったのが父方の祖父と一緒に未来へ行って、大きくなった
子供たち(養子)の姿を見せてもらったことです。

幽体離脱(体外離脱?)というのをそのとき初めて経験しました。
最初は部屋を浮いていたのですが、そのうちものすごいスピードで風を
感じ寒いくらい早く飛んでいて二人の子供に会いました。

二人はショッピングセンターのようなところを歩いていました。
私は宙に浮いていて二人に近づきました。養子になる子たちだと思い
顔を覚えておこうとじーっと見ていました。二人は10代に見えました。

一人は男の子でもうひとりはその子よりも背が大きくぽっちゃりした
女の子でした。
二人とも雰囲気の良く似た本当のきょうだいのように見えました。
どちらかの子が「42歳」といったのですが、これは今思うと男の子
のほうが言ったと思います。

それはハッチの生まれた月とままっちの生まれた月は同じ月なの
ですが該当を頂いてハッチがうちにやってきた月はちょうどままっちが
42歳になる月だったからです。


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父方の祖父は、「この子はここまでしないと、子供を迎える準備が
できないからちょっと未来を見せてやろう・・・」
そう思って私の尻を
叩いたんだと思いました。笑
だから、子供が来ないかもしれないなんて思う余地はありませんでした。

ハッチが来る前にも沢山のサインがありました。
だから該当の電話を頂いたときはあまりびっくりしませんでした。
それよりも、先のことを心配するくせのある私はやるべきことが色々
頭を駆け巡りとにかく特別養子縁組が確定するまでは油断できない・・・
まずは確定までそれに集中して頑張ろう・・・と。
その時はこれは一番大きな山だと思っていました。


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