母 七夕に旅立つ その3<火葬>

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7/10に納棺式を済ませ、7/11の11時から火葬となった母。

 

時々妹のそばというか妹の眼を通して自分を見ている様子の母。(に感じました)

時々涙する妹でしたが、私は相変わらず他にも何人も火葬される方がいたので子どもたちがあまりうるさくしないように神経が子どもに集中して全く泣けず客観的なママッチ。

 

納棺式のときに入れたバラや手紙の他にさらにお花をたくさんいれてどんどん顔がきれいに変わっていき一番いい顔をしていました。

 

ハッチとナナッチもおばあちゃんの顔の周りにたくさんお花を飾ってくれて最後のお別れ。

 

納棺式でゆっくり家族だけでのお別れができていたので、そうそう長い時間もとれないと思い「ありがとう」を言って棺桶の蓋が閉まりました。

 

ハッチとナナッチには「死んだ人は最後は焼いて骨だけになっちゃうからね」と説明していました。

 

焼かれている間、お清めを頂きながら葬儀屋さんの男性も交えてお話しているとその方のお祖父さんがパーキンソン(私達の父も糖尿病でパーキンソン)で東京の病院に入院したが奇声を発するので個室じゃないとだめと言われ月に40万の支払が一年続いたと聞いて、「ひえ〜老健で12万の支払でも年金が少ないのでひ〜ひ〜言ってるのに信じられません!」とびっくりしました。

 

そして骨だけになったおばあちゃんに対面することになるのですが、、、

 

骨を見たい見たいとキャッキャしていたハッチとナナッチでしたが、ナナッチが「お母さん抱っこして。よ〜く見たいから」というので抱っこして骨を見てここがどこの骨とか説明を聞いていると・・・

 

ナナッチが私の顔をじ〜と見て「骨になって悲しい〜」としくしく泣き出したのです。

 

今までは妹のところにいた母がナナッチのところに来たときょうだい全員が瞬時に理解しました。

 

すると、弟がナナッチに向かって「お母さん・・・」と話かけだしたので、私は「おいおいそれはやめてよ」と心でつぶやきましたが泣き方がいつもと違うので「骨になってもこころの眼は残ってるから大丈夫だよ」と何度もなだめました。

 

少ししてナナッチも普通に戻り、今度の使命は私と妹で透析で20年もお世話になった病院にご挨拶に行くことと、ご近所の不義理をしてしまっていた方々にお詫びと葬儀が終わった報告をしに行くことでした。

 

こうなると完全に母の代わりに動かされている状態です。浄化してもらうためにはやるべきことをどんどんやろうと迷わず決意しました。

 

車の中でハッチとナナッチが喧嘩していると「うるさい〜ってお母さんが言ってるから静かにして〜」と妹。なんか過敏になっている妹。

 

透析を20年して頂いた病院に着くと先生もご挨拶に来て頂き、ロッカーに残っていた荷物を預かりに行きました。

 

すると、そのロッカーの番号がナナッチの誕生日2/16の「216」番でびっくり。

 

そして、次はご近所のお世話になった方に火葬を終えたことをご報告。まずは一番お世話になった方のおうちへ。

父と母が社員食堂の自営で共働きだったので小さいころから預かって面倒みて頂いたIさんのおばちゃんとおじちゃん。

 

Iさんのおばちゃんは「水臭いじゃないの!!!」と怒っていました。Iさんのひ孫さんがなんと男の子と女の子の双子だそうでそれもまたびっくり。

 

父の介護やら現実を受け入れられなかった母は私からみたら介護うつのように見えました。近所の人にうまく助けてを言えなくなっていて誤解されていたというか人格も変わっていたと思います。

 

「本当に付き合いが下手ですいません、おばちゃんには本当に感謝しています。うちの両親が働けたのはおばちゃんが私達を面倒みてくれたからです」と平謝り&感謝。「施設に入っている父がIさんのおじちゃんとおばちゃんには本当に感謝していると涙を流しながらお礼をしてくれと言われてたんです」と話すとおばちゃんの心は少しほぐれたようでした。

 

私はおばちゃんに「おばちゃんが私達の面倒を見てくれたから養子の子どもを迷いなく育てることができるのかもしれない」と言い忘れた!と車の中で後悔しました。

 

そんなこんなで、一応今やるべきことは済んだかなと使命を果たした私達は町田に戻り一泊して翌日12日に愛知県の父が入院する病院に向かいました。

 

つづく

 

 

 

 

 

母 七夕に旅立つ その2(納棺式)

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7/7に母が他界し、7/8に死亡が確認され7/9に安置室に家族で会いに行きました。

 

ハッチとナナッチはホテルが大好きなのでホテルでのお泊まりが楽しくてしょうがない様子。

 

7/10は12時から納棺式でした。妹が「お母さんが赤いバラを納めて欲しいって!」と言いました。

なんと私には安全地帯のマスカレード「あなたは嘘つきな〜バラ〜♪」という曲が鳴り響いていたのです。

 

やっぱりなんだかんだ言っても最強の「バラ」か〜女は・・・素直な母の気持ちだと思いました。(私は最後どの花を選ぶのだろうか・・・と思ってしまいました)

 

12時まで時間があるから、バラを買って、手紙を書いて入れることにしました。

 

ハッチからは「おばあちゃん、今度ドライブしようね!」(ん?あんまり死んだ意味がわかってないかも・・・)

 

ナナッチからは「おばあちゃん、天国の皆とたくさん遊んでね」(すごい!・・・わかってる・・・)でした。

 

納棺式ではメイクもして頂き、最初の土色の肌でちょっと怖かったおばあちゃんがきれいになりました。

 

「なんか観音様に見えてきたね」ときょうだい達。。。

 

口紅もローズピンクにしてもらい、顔まで剃ってからファンデーションを塗ってくれるのにびっくりしました。

 

ナナッチはお化粧に興味津々。

 

白装束になり、最後あの△のがおでこにされたらおばけみたいで笑ってしまいそうとまたもや不謹慎なママッチ。

さすがにそうはなりませんでした・・・

 

母に産んでくれてありがとう、お疲れ様!を言って1時間ほどで終わりました。バラの花もお手紙カードも入れて

「おばあちゃん喜んでるよ」

 

納棺式が終わり時間があったので、座間の永代供養をしてもらうお寺を見学に行こう!ということになりました。

こんなにゆったりと母を送ることができるなんて家族だけの葬儀もいいなと心底思いました。なにしろ母の気持ちがよく伝わってくるのです。

 

お寺についてここがいいよねと確認できて、夕食は町田で妹と色々話しました。昨年歩けなくなって入院したあとは、私が母のケアマネさんに電話をして、月・水・金は透析なので、火・木・土はデイサービスにしてください、食事はお弁当を宅配してくださいと頼みました。最初こそ嫌がっていたデイも最後は楽しく行けるようになっていました。

 

歩けなくなってしまったときは父の介護で近所の人たちとの交流もなくなってしまっていてかなり辛い状況だったのでデイの方たちと交流できてよかったなと思っています。一年前の状況で亡くならなくて本当によかった。

 

翌日はいよいよ火葬です。

 

つづく

 

 

 

2017/7/7七夕の夜に旅立った母 その1

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2017/7/7七夕の夜に母が天国に旅立ちました。

思い返せばちょうど一年前の7/7に父と母は別々に暮らすことになりました。

父は私が愛知県の老健施設に入所させ、母は歩けなくなってしまっていたので相模原の病院に入院することになったのです。

 

七日の夜、母が一緒に住んでいる(独身の)弟に胸が苦しいと電話したそうですが、弟は救急車を呼ばなかったので家に帰ったときはすでに心肺停止の状態で亡くなっていたようです。その後近くの大学病院に運ばれ心臓マッサージを一時間位したそうですが戻らず7/8の午前1時1分に死亡が確認されました。

 

7/8の朝ラインを見るとお母さんが亡くなった…と書いてあり、子どもたちに今日のたんぽぽ会は行けないと話すと大号泣。

 

私の車で一緒に鈴鹿に向かうはずのクレープ夫妻さんに連絡しないと!と思いましたが弟から連絡があり、家で亡くなったので解剖しなければいけないと言われている…とのこと。すぐに向かっても待つ場所もないし(実家は荷物であふれ泊まれる状態になく)いつ葬儀になるかわからなかったので結局参加することにしました。

 

一年前に父が施設に入所するときに必要な介護保険負担限度額認定証というのを申請するために父と母の通帳のコピーを取り、お金の流れを把握していたので、葬儀社に電話をするように弟に伝えました。「どこに連絡すればいいのかわかんない」というので我が家にある母の通帳のコピーを見て「○○○!」と怒りながら連絡しました。なんでそんなことも同居の弟に伝えていないの?という怒りと弟が何もわかっていないことへの苛立ちと、一年前にお金の流れを把握しておいて本当によかったと安堵感といろんな感情でかなりピリピリしていました。

 

たんぽぽ会は無事に終わり、クレープ夫妻さんとショコラ君と帰りにマックに寄って晩御飯を食べたときに実は母が亡くなったとクレープ夫妻さんに話しました。そのころには火葬は11日に決まったとラインが入っていました。

 

たんぽぽ会の帰りの夕日を見るとなんと彩雲が!母も子どもたちが楽しみにしていたたんぽぽ会の邪魔はしたくなかったんだろうと思いました。

 

家に帰ると実家には泊まれないので町田のホテルを3泊予約して9日の午前中に出発しました。アメリカに住む妹も9日には町田に到着できるというので9日はとにかく皆で安置室に向かってお母さんに会ってから弟も一緒に町田で飲む予定をたてました。

パパッチは二日間お休みをもらえたんですが、お義母ちゃんの2カ月に一度の認知症の診察があったのでお義母ちゃんの面倒をみててもらうことにしました。

 

妹の旦那さんもどうしても仕事がキャンセルできず来日できなかったので本当に子どもたちと孫たち(ハッチとナナッチ)だけで見送ることにしました。

 

町田には4時間位で着く予定でしたが、厚木インターから町田インターまでの間が事故渋滞ということで厚木インターで降り町田に向かいましたが、真言宗で永代供養をしている座間にある御寺の前を偶然にも通ることになりました。

 

父も母も一年前からいつ亡くなってもおかしくないくらい状態がわるかったので葬儀はここ、永代供養の御寺はここに頼もうと色々とシュミレーションしていたのです。

 

「これはもうこの御寺でOKというサインだわ〜」とラインを入れました。母の好きな観音様も祀られていて雰囲気もいい感じの御寺でした。

町田まで下道もだらだらと混んでいて結局着いたのは夕方の5時でした。

 

町田で妹に会うと、「お母さん今日は満面の笑みでみえたよ。亡くなってから自分のきょうだい達に会いに行ったみたいだけど、八王子の○○おじさん(母の弟)をまっさきに見せて心配してるみたい。」と妹。

 

「ハッチとナナッチが来てくれたから何より喜んでるでしょう〜」と私。

 

私はハッチとナナッチに「死」を教えるということで結構頭がいっぱいで、弟が安置室で撮った母の姿をラインで送ってもらい出発前にハッチとナナッチに写真を見せました。

おばあちゃん死んじゃったよと説明しながら、なぜかその写真が化粧っけもなくちょっと怖い感じだったので私が笑ってしまいました。(←不謹慎)

二人には「おばあちゃんにお化粧してあげようね〜」と言いました。

 

安置室では写真を見せていたこともあり、そう怖がらずに二人はおばあちゃんの顔を触って「冷たい〜」と言っていました。

おばあちゃんは今、透明人間みたいになってこころのお目目だけで見てるよ〜と説明。「たましい」は意味がわからないので・・・。

 

どうも妹のところに母がいるようで、妹を通して自分の遺体を見ているようでした。私は子どもたちの対応と反応を見るので感傷に浸る余裕もなくといった感じでした。

 

とりあえずその後町田で飲んでゆっくり話そうということになり、10日は12時から納棺式ということでその翌日11日の11時から火葬というスケジュールになっていました。

 

結局警察が家に来て遺体に外傷がないことから解剖はしなくていいことになりました。死因は心不全とのことでした。

 

20年近い人口透析を続けていましたが、最後は楽に行けてよかったと思いました。ただ弟が救急車を呼んでいたら弟が最後を看とるくらいはできたかもしれません。

 

ハッチとナナッチ居酒屋でたくさん食べて楽しそうにしていました。二人は大人の仲間入りをして特別な体験をしているといった感じもありました。

 

私とハッチとナナッチがシンポジウムの帰り6/25(亡くなる13日前)に相模原に寄って母と一緒にランチをしたときのことを話しました。

 

ランチが終わり、私の車で実家まで母を送ろうとしたとき、ハッチもナナッチも「おばあちゃんの隣はいや〜!!」と今までそんなことはなかったのに二人ともおばあちゃんの隣に座れなかったの。だからそのときから子どもたちは何かを感じてたのかもね…」

 

母は父の介護から解放されたのもよかったのか、半年くらい入院したあとなんとか杖を持って歩けるまでになり父の老健にも何度かお見舞いに来ていました。ランチしたときも今度は7/9に父の入院先にお見舞いに行きたいと日にちを決めてからわかれました。

 

弟によると9日にお見舞いに行くので服にアイロンをかけていたとのこと。

 

しかし、7/9を待たずに旅立ってしまいました。

 

つづく

 

足の火葬

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父の足のジョクソウが悪化して結局もう一方の足も切断せざるを得なくなり手術をしました。

 

本人も足が痛いし嫌とは言いませんでした。

 

病院はなんといつもドラマ「マザーズ」の母子寮を撮影をするところの近くです♪

 

 

 

手術後すぐ段ボールに入った足を持ってきてくださいました。

 

ごみとして捨てることはできないので 火葬場に持って行かなければならない とのことゆう★

 

翌日足を切断したという診断書を持って火葬場に行きお金を払い足を置いてきました。

 

骨を持って帰るというのはできない とのことです。

 

手術の前日いつものように腰などをマッサージしていると(切断するほうの足が痛いので)「さすってくれ」と言われ心の中で

長年働いてくれてありがとうを言いましたき

 

 

胃ろうでもシュウマイ食べる・・・

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先日、老健から電話がありました。

 

「どうしてもシュウマイが食べたいとすごい剣幕なので5月2日に言語聴覚士と看護師が付き添い食べて頂くことになりました」

 

「わかりました。シュウマイ持って行きますね。ちょうどその日は母と弟がお見舞いに来るので・・・」

 

 


なので、5/1にシュウマイを作って持って行きました。

 

長い結婚生活の中で3回くらいしか作ったことがないシュウマイを〜

 

ハッチもナナッチもお惣菜のシュウマイはお肉だよと言っても絶対に食べなかったんですが、私が作ったものは「おいしい〜」と食べてくれました。(シュウマイ克服)

 

どうやって食べさせるんだろう?すりつぶしちゃうんだろうな〜

 

 

 


と思いきや、そのまま出してくれました。ただ、なめらかなかまなくていいおかずと一緒に絡めて!

ゲホゲホ涙流しながら食べてました。痰の吸引をしてもらいながら!

 

咳が出せなくなったら完全に胃ろうのみになるのかなと思います。

看護師さんが食べさせてくれてますたが、長くなりそうなので母が食べさせることに・・・

 

 

 

すると、あげるペースが早すぎて夫婦で喧嘩に・・・

 

父は、家族と一緒にご飯を食べれるなんてずいぶん久しぶりのことなので、ゆっくりと話ながら食べたかったようで・・・

 

実家ではちびちびウイスキーを飲みながらちょっとつまむという感じだったので、とっとと食べちゃって〜という感じが耐えられなかったのでしょう。。。

 

 


最初は全然声が出なくて、何言ってるか全然わかりませんでしたが、マッサージと食事でかなり声が出るようになりました。

 

もっとこうして欲しいああして欲しいが強いので、不満とか怒りとかのエネルギーで保たれているようなところがありますが、怒り爆発で老健の医師に「シュウマイが食べたい」と言ったおかげで願いが叶いました。(結局シュウマイ2個食べました)

 

今日(5/5)はハッチが放デイで子どもたちでランチ作りをしているようです。
ナナッチは、ちょっとだけお勉強とお買い物&老健コースです。

 

胃ろうになりました・・・

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★父の老健で〜

 

1月に父の足のジョクソウがひどくなり手術をしました。

そのあと2月になっても、熱が下がらず糖尿があるので、経過があまりよくない状態が続いていました。

このまま死んじゃうかもと本気で思って、お葬式について調べたり、遺影の写真をどうするかとか皆で考えました。笑

 

遺影の写真は私がデジカメで撮った最近のでいいか〜と妹にラインで送ると、妹の旦那さんが「No!!!」と却下汗

 

アルバムを全部見直し我が家にある数少ない父の写真から親戚の結婚式のときに私が撮った一枚を選んだら「OK手」と妹の旦那の了承を得ました。(父が50代の頃の写真で一番父親らしさが出てる笑顔のもの)

 

父は声もでなくなり、食事もできなくなり、鼻からチューブで栄養や薬を取っていましたが、鼻のチューブを抜いてしまったことがあり、再度レントゲンを見ながら入れないといけないということで、たびたびやられても困る・・・ということでミトンのような手袋をすることになりました。(拘束にあたるので老健からは家族に連絡が来ます)

 

 

 

 

もうこのまま弱って寿命・・・ということも考えられたので、生きているうちに会っておこうということで妹がアメリカから帰国しました。

 

私達二人でお見舞いに行くと、実家に帰れるのでは?と考えたようで、父がものすごい実家に帰りたいモードに入ってしまい、ミトンも被害妄想を助長する結果になり、わがままとうか不満が爆発したときがあって、妹がはじめて父の手に負えないわがままを目の当たりいにし、どっと疲れてしまいました。

 

わかったでしょ!怒りモードがどんなか〜。こんなもんじゃないときあったよ、顔をぶるぶるふるわせるくらい怒ってたときとか、やばいと思って公園に連れ出したんだもん…毎日今日はどんなかびくびくだよ〜

 

 

 

 

そんなこんなで、数日間毎日お見舞いに行って2人でマッサージをし続け、なだめていたら、どんどん声が出るようになりました。

 

とにかく口から食べれるようになろう!ということで、老健の人達もまずはゼリーを食べるというリハビリをしてくれるようになりました。リハビリを数日するうちに、父が「ご飯と梅干と白菜の漬物が食べたい」と言い出しました。そう思えるようになっただけすごいと思い、練り梅を買ってきて、ゼリーでリハビリ後、ソフト食になったときにご飯のような(茶碗蒸しくらいやわらかい)ものに練り梅を混ぜて、私がはじめて食べさせました。すると、嬉しそうな笑顔が出ました。梅干しは祖母が毎年作ってくれていたので、格別な想い出があったんだと思います。

 

 

 

妹が来てくれていた2月14日のバレンタインデーの日に、2人でマッサージをしながら色んな話をしました。

 

結局、お父さんておばあちゃんが一番好きなんじゃない?」(なんでも手作りで作ってくれたしね、食べ物は…胃がんのおじいちゃんの面倒を家で見てたし、それと比べられたら誰もかなわないわ〜)

 

「(迷わず)うん!(やっぱり!母には絶対に言えない)」

 

天国のおばあちゃん、喜んでるだろうな〜男はお母さん大好きなのわかるわ〜

 

胃ろうの話ですが・・・鼻にチューブしながらの昼間のソフト食も辛いので、先日老健の関連の病院で胃ろうの手術をしてもらいました。老健の先生や看護師さんから胃ろうのメリットデメリットを色々伺っているうちに父もわかったようで、納得しました。

 

今は、昼間だけソフト食で朝と夜はチューブで栄養でしたが、3食とも食べれるようになれば、胃ろうを辞めることも可能だと…でもパーキンソンなのでどんどん食べられなくなると思います。だからこそ熱が下がった今がチャンスというところもありました。

 

胃ろうって、延命治療みたいに思っていましたが、それをしないと口からの食事だけではカロリーも栄養も薬も取れないので、受け入れるしかない!それを受け入れないとすぐに死んでくださいと言っているようなものだし・・・選択の余地なし!でした。

 

私がソフト食を食べさせているときに、茶碗蒸しくらいのやわらかいものを一口入れただけで、ゲホゲホ言っているので、本当に口から食べれないんだということがよくわかりました。(咳も出せないようになったらいよいよ胃ろうのみになってしまうようです)

 

 

 

ナナッチ、年長さんの卒園式にでました。

女子が号泣しているのを見て、ナナッチもつられて大泣きしていたようです。

 

あと、年中の先生のひとりが退職されるので、「☆☆先生に会えなくなるのが悲しい」と家でも大号泣悲しス。

 

感受性豊かですクローバー


 

父と母の再会2(新しい施設)

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昨年(2016年)の7月に父がうちの近くの老健に急遽入れて頂くことになり、歩けなくなった母は緊急入院させて頂きました。

 

その後アメリカから妹が来て、弟が母を連れて老健にお見舞いに来てくれました。(10月)

 

二カ月ぶりの母は激やせしていてびっくりDosomo_kao9

痩せると皺がすごく目立つので、一挙に老けたような・・・

 

 

父は12月に新しい老健に入所しました。その施設に先日、弟がまた母を連れて見舞いに来てくれました。

 

母は、杖をついてなんとか歩ける状態になり、退院して、人工透析のない日はデイでお世話になることになり、食事は宅配のお弁当を頼んでいます。透析があるので、老健や特養は厳しいのが現状です。

 

義母も腰の圧迫骨折で、デイに行けなくなったとたんおむつになりました。(トイレには行けますが失敗があります)

 

子育てと介護が重なると、親の介護問題のほうが断然精神的にしんどいです汗

 

 

子どもはどんどん理解が深まり色んなことが出来るようになる。

親は、どんどん色んなことができなくなる。

 

 

父と母は認知の低下もあり、大した会話をしていませんでしたが、母はハッチとナナッチに会えたのでうれしかったと思います。

 

施設で面会したあと、近くの公園で遊び、ハッチが初詣で買えなかった御守りを買いにまた神社に向かいましたキラキラ

 

 

やっと3人で写真が撮れてハッチは自分で御守りの色を決めて買うことが出来ました。

 

この日は迷わず緑をチョイス。えへ


 

お正月☆四季咲桜を発見!

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年末の31日は大掃除で父の施設に行けなかったので、元旦は行きましたが、父がすごいイライラしていて、義足を作ってもらえないことがひどい被害妄想になっていて、これはもう明日公園にでも行って気分転換してみるしかない!と思いましたアセアセ

 

 

 

 

父の施設に行く前に神社に行きました。

 

 

 

 

いつもと違ってたくさんの人がいたせいなのか私が叱ったからなのかなんなのか、ハッチがちょっとした癇癪で、御守りの色が決められなくてハッチのだけ買わずにこの日は退散しました。(写真も一緒に撮れず…)エリザベス

 

 

 

 

そのあと、父の施設に行って、近くの公園に連れ出すことにしました。

 

ハッチが公園にいた同じ年くらいのお友達と一緒遊び出してやっと機嫌がなおりました。

 

そのときに、なんと桜を発見moe

 

 

 

 

四季咲桜という桜が咲いていて、以前から父が「桜を見たい」とよく言っていたので、ハッチのご機嫌も父のご機嫌もなおる絶好のチャンスになりました手

 

 

 

 

二日はそれほど寒くもなく、散歩できて本当に助かりました。子どもたちも公園で思う存分遊べて大満足!!

 

 

 

 

3日は弟が母を連れて、施設に来るというので、とにかくこのイライラモードをなんとかしておかなければやばい!ということで散歩に出かけましたが、物質的に満たしているだけではやはりだめで、父は自分に向けてくれる愛情が欲しいんだなとつくづく思いましたkyu

 

自分のことを思って行動してくれるということに飢えていたのかもしれません涙

 

予期せぬ親の介護

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私の父が老健→老健に移動するときに、介護タクシーを使いました。

介護タクシーも初体験。

 

最初は土曜日ならパパッチも一緒に移動に付き合ってもらえるので、土曜日に入所したいと頼みましたが、「平日でお願いします」とのこと。(スタッフからの説明等が色々とあるため)

 

私が片足の人を介助する方法が全くわからないので、介護タクシーに父を乗せ、私は自分の車で新しい老健に移動しました。

 

 

 

 

 

そして、今度は、父がどうしても眼鏡を作りたいというので、私が福祉車両をトヨタレンタリースで借りて車椅子ごと車に乗せ、眼鏡を作りに行ってきました。

 

普通の近眼とか老眼ではなくて糖尿から見えなくなっているので、見える眼鏡を作れるかわからないんだからねと念を押し、眼鏡を作りに行きました。

 

福祉車両を借りて、車椅子で乗せるのも初体験なので、ドキドキでしたが、なんとかなりました!

 

結局、予想通り劇的に見える眼鏡は無理でしたが、レンズの傷があったりフレームがぐらぐらだったので、同じような度数で新しく眼鏡を作りました。作ってもらえたことが大事なのかもしれません。

 

妹が瞑想をしていたら、父方の祖父母が笑顔で出てきたらしく「おじいちゃんとおばあちゃん、(新しい施設に変わって)喜んでるよ」とラインが来ました。

 

「頑張って動いてよかった〜」と心から思いました。(これもケアマネさんの助けがあってのことです)

 

 

 

 

これで父も落ち着いて年を越せるかな・・・と思ったところで、同居の義母が夜中トイレに起きて転んだんだか(認知症なので覚えていない)なんだかで、3日しても腰が痛い痛い言うので病院に行くと、腰を圧迫骨折していました!

 

とりあえず、デイサービスを少しお休みすると電話をして、ケアマネさんにも電話して、トイレの手すりと起き上がるときの手すりを介護保険でレンタルする手配をしてもらいました。

 

ありがたいことに今日電話して、今日の夕方には設置してもらえました。

 

いつからデイサービスを復活できるかわかりませんが、週一回はお風呂に入らないとまずいかなと思い、お風呂のときだけデイサービスを入れてもらいました。

 

 

 

 

とりあえず、今週はデイを休み、来週コルセットでデイに行けるか病院と相談です。

 

ハッチが、二年生になって色んなことに慣れて落ち着いた時期で本当によかったと思いました。

 

やればやるだけ色々できるようになっていく子供たちと、色々できなくなってくる親たち。

 

子どもたちもそうですが、親もたくさんの人たちに助けられているんだなとつくづく思います。

 

父で言えば、施設の方々、義母はケアマネさん、デイサービスの方々等々・・・

 

結局生まれつき障がいのある人達だけが特別人の手を借りているわけではなく、年を取ればたくさんの人たちの手を借りなければいけないのかと思うと最後は皆同じかも・・・と思えてきます。

 

 

 

 

発達障害より、認知症やパーキンソンのほうが対応が大変な状態になってます(汗)

 

親達のほうが大変だから、余計ハッチがなんでも出来るように思えてくるというのもありますが!

 

私ひとりで介護していたら、子育てとの両立は絶対にできていないと思います。

 

同い年のケアマネさん!いつも迅速に対応して下さり本当にありがとうございます♪

 

親の介護はケアマネさんの支えなしでは乗り越えられません!

 

父の施設変わりました

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私の母が今年の6月頃から歩けなくなり、父の世話を全く看れなくなり入院しました。

そして、父が7月に私の家の近くの老健に急遽入所することになりました。

 

が・・・三カ月もするともう「出たい」と毎日言うようになり、辛すぎるのか妄想がひどくなり「そこまで嫌なら新しいところを探そう。年内を目標に!」という約束をして、探すことにしました。

 

 

一応、妹に聞いてみるか・・・(リーディング)

 

「お父さん、このままでいいのかな?」(何かすっきりしないものがあるけど)

 

「う〜ん、おじいちゃんが出てきて、感謝してるとは言ってるけど、笑ってないな」

 

「おばあちゃんも出てきて、お味噌汁作ってるところを見せるんだけど」

 

「え〜〜〜まじで〜。確かにこのままでいいのかなというのはあるけど、また探すの〜!!!」

 

「もっとご飯の美味しいところとか、癒されるところっていう意味かな???」

 

「(面倒だけど)探すしかないよね、、、やっぱり」

 

ということで!天国の祖父母の助けもあり(たぶん)スムーズに新しい施設に移動出来ました。

 

今までの老健は緊急で面談もなしで入れてもらえて食事制限などで血糖値も安定したので、そこは感謝だよ!老健に入れなかったら生きてなかったかもしれないんだからね!と言いました。

 

 

 

特養や老健を何件か見学してみて、ちょっといいくらいでは納得いなかいと思ったので、「ここしかない」くらいにピンと来なければ変わった意味がないと思って探していました。

 

家からは少し遠くなりましたが、新しくて人も全然違う!と思ったところで空いてる部屋もあるということで老健に申し込みました。

 

今までが老健の従来型でしたが、ユニット型を見学させてもらったらどうしてもユニット型の個室がいいと思うようになりました。

(それぞれが個室で8人とか10人で一つのユニットになっていて、食事等の広いリビングもユニットの人たちが集まって食べる)

 

今日、忠臣蔵の討ち入りの日は母親の誕生日。

 

母へメッセージを送るために、父の動画を撮りました。

 

「お母さん、おめでとう、ここはすばらしいよ〜・・・みんなやさしいし・・・」とカメラの前で言っていました。

 

天と地の差のようです。

 

地を見たから天と思えるんだとは思いますが。

 

直接の介護で面倒を看ているわけではありませんが、精神的なケアが大変です。父が慣れるまでは私も神経使います。

 

検査の結果、認知機能もかなり低下してきていて点数的には認知症のようです。

 

 

 

前の施設最後の日、家の前で、円の彩雲が見えました。(幻日なのか?わかりませんが)

 

この日はハッチの発達外来の診察の日でしたが、病院を出たところでまたまた彩雲がありました。

 

 

 

これでいいんだよ・・・と言われていると、こじつけよう!


 

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