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    母 七夕に旅立つ その6(お別れ会)

    実家・家族・施設 - - らぴす(ママッチ)

    先日、母のきょうだい達が集まり母のお別れ会をしました。

     

     

    行きの高速からは曇りや雨模様の天気でしたが、なんとか富士さんを見たいと子どもたちが「風小僧雲をどかして〜」と言いながら叫んでいると本当に富士さんが見えました。

     

    ナナッチはなんどもなんども「七夕さま」の曲をリピートしていました。一番繰り返し聞いていたのが「七夕さま」で次が「春が来た」でした。

     

    町田インターを降りるとナナッチが「お母さん送ってくれてありがとう。大大大大・・・大好きだよ〜」と!

    送ってくれてって???母も大好きなハッチとナナッチと一緒にドライブしてたのかもしれません。

     

    車の中ではナナッチが「おばあちゃんとパスタ屋さんに行けてよかったね。セーフだったよね」と。。。

    最後に会えてよかったということだと思います。

     

    ハッチは、お腹が痛いのにパスタを全部食べておばあちゃんに「全部食べて偉いね〜」と言われたことを思い出しました。

     

     

    母のお別れ会は町田で懐石料理で個室にしました。

     

    母は下から二番目です。母の姉、兄、弟夫婦が来てくださいました。

     

    一年前の2016/7/7に父が愛知県の施設に入所して二人が離れ離れになったころからいつ亡くなってもおかしくないと思っていたので、母が歩けなくなって相模原の病院に入院したことをおばたちに知らせたところ、お見舞いに来てくださいました。

     

    なので、一年前に会っておいてよかったと話していました。

     

    母の近況等を話しましたが、ハッチは大人しく食事をしていましたが、ナナッチは緊張したのか、変なことばかり言ったりやったりであまりゆっくりは話せませんでした。

     

    また、四十九日のときに来て下さるようなのでそのときは今日みたいにふざけたことばっかりしないでね!とナナッチに言いました。そのおかげで明るいお別れ会となりました。

     

     

     

    お別れ会のあとは、マックの遊具でストレス発散する二人。

     

     

    その後…ホテルでゆっくりしました。

     

    「今日はつかれたね〜」

     

     

     

    うちに帰ると、ハッチがすかさず、おじいちゃんとおばあちゃんと会わせてあげようよ〜と言って、二階の父の写真をリビングに持ってきました。

     

    「おじいちゃんとおばあちゃん、喜んでるよ〜。おじいちゃんにはトーマス、おばあちゃんにはパーシーを飾ってあげる」

     

    お花の水は毎日変えてくれるし、お水も変えてくれます。お供えをするとお義母ちゃん(認知症)がいつの間にか食べてしまって水まで無くなっていることがあるのでびっくりすることがります。汗

     

    「おじいちゃん、おばあちゃん草むしりしたよ・・・」と報告している姿は本当にかわいいです。

     

     

    母 七夕に旅立つ その5(父への告知)

    実家・家族・施設 - - らぴす(ママッチ)

    2017/7/11に母の火葬を済ませ翌日に妹も一緒に愛知県の父の入院している病院に向かいました。

     

    とりあえず自宅に帰り荷物を降ろし、パパッチが家にいたのでハッチは家で遊ぶことに・・・あとで回転寿司に皆で食事に行く約束をしました。

     

    私と妹とナナッチは父の入院する病院に向かいました。

     

    一週間も病院に行けなかったのでナナッチの「おじいちゃ〜ん」という声を聞いた父は「お〜」とものすごくうれしそうな顔をしました。

     

    少し時間をおいて「実はお母さんが亡くなったの」と妹が言うと、目を丸くしてものすご〜くびっくりした顔をしたあとすぐに号泣しました。

     

    実は、私はその姿を見て初めて涙が出ました。きついな〜このあと精神状態がどうなってしまうのかと・・・でも9日にお見舞いに来てくれると話していたので、嘘はつけない。

     

    12日に父に告知をしましたが父は夢で会ったのか「3日前(9日)にお母さんに会ったんだよ。お母さんはお弁当を食べているというので俺が何か作ってやると言ったんだ。とてもきれいで大好きだよって言ったんだ・・・」と。

     

    もしかしたら9日に会いに行こうとしていた母が本当に他界したあと父のところに行ったのかもしれないと想像すると泣けて泣けてしかたありませんでした。

     

    二人が病気になってからは、お互い近くにいると不満やわがままや喧嘩でうまくいかないこともあったでしょうが、本来はとても好き同志なんだなと思うと切ない気持ちもありました。

     

    とにかく何日かは妹が愛知に滞在するので毎日お見舞いに来るからと約束して帰りました。

     

    翌日から数日間は妹と一緒にお見舞いに行きましたが、やはりショックだったのか妄想が強くなってちょっと大変でした。

     

    父のことも大変なんですが、母も亡くなったばかりなのでわかって欲しいことが強いようで・・・

     

    救命医療のドラマを録画していたものをナナッチと一緒に見ていると、心臓マッサージのシーンになってこんなこと今までにはなかったのに、火葬のときのように私をじ〜っと見て「悲しい〜」と泣きだしたのです。

     

    最後誰にも看とられず大学病院で一時間心臓マッサージを受けた母はきっと自分の姿をみていたのかもしれません。

     

    「私もこんな最後だったの〜」と言わんばかりにナナッチを通して泣いているように感じて、背中をさすって慰めるしかありませんでした。

     

    母の思いと父の思いを受け止めなければならないのでひとりではきつかったなと思います。妹が帰国してくれてランチをしながらああだこうだこれからどうすると話せて気を紛らわせることが出来て幸いでした。

     

    急な死で、家族だけで見送る形になったので母のきょうだいから連絡があり、愛知から悪いけど町田あたりに出てきてもらって話が聞きたいと言われ会食の場を設けることになりました。

     

    つづく

     

     

    母 七夕に旅立つ その4(父の病院に向かう)

    実家・家族・施設 - - らぴす(ママッチ)

    母の火葬が終わり、翌日妹も一緒に愛知県に車で向かい父の病院に行って母の死を告知することにしました。

     

    次から次へと課題が出てきて火葬が終わっても一応一段落…という気持ちには全くなれませんでした。

     

    それでも私一人で告知するより妹がいてくれることが何倍も心強かったので神奈川から愛知へのドライブは重々しい気分ではなく済みました。

     

    ちょっとお腹がすいたので休憩&食事をすることに…

     

    子どもたちはうどんがいいと言い、私はあまりお腹が空いていなかったので迷っていると妹が「そばが食べたかったのに、手が勝手に五目ラーメン押しちゃったわ〜」(爆笑)

     

    「え〜まじで?お母さんラーメン好きだったもんね。それに野菜も制限あったから五目ラーメン食べたいのかもね」と私。

     

    私は、お腹がそれほど空いていなかったので子どもたちと妹が食事をしているときにSAをぐるっと一回りしてきました。

    するとなんと横浜の崎陽軒のシュウマイ弁当が売っているではありませんか!

     

    父がこじんまりとシュウマイ弁当を作って商売がしたいと私に訴え、母が老健にいる父のお見舞いを最後にしたときも私が作ったシュウマイを母が食べさせた想い出のシュウマイ(笑)

     

    その近くに飾られているF1?だかの車のナンバーが今日の「12」。

     

    シュウマイを食べようかと思いましたが、あまりお腹が空いてなかったので結局私もミニラーメンにしました。

    父と母が最後に会ったのが老健で2017/5/2で、父がシュウマイをどうしても食べたいというので吸引機を用意してもらいながら食べさせる日でした。

     

    ちょうどそのときに弟と母が見舞に来る日だったので皆で父のシュウマイを食べるのを見守りました。(命がけ。汗)

     

    私も後悔のないように冷凍シュウマイはやめて前日に手作りして届けていました。

     

    そのままでは食べられないだろうと思いましたが、小さくして食べることができたのです。

    そして、母親に「お父さんに食べさせてあげたら?」と言って、食事の介助をやってもらいました。

     

    父は「ペースが速いんだ!」と怒ったり、「ゆっくり家族で食事をするというのがしたかったんだ」というようなことをポロっと言いました。

     

    老健の方達もゆっくり食べてくださいねと言ってくださり、父と母はゆっくり食事の時間が持てたのです。

     

    私はその時母に、父と母の遺影の写真はどれがいいか決めてもらいました。父は50代前半の親戚の結婚式のときの写真(私が撮影したもの)
    母も50代のときの写真で私が着つけをして神社に参拝に行ったときの写真を選びました。

     

    そしていつこれが最後になってもおかしくないと思っていたので、母親に自分の今回の人生がどうだったかとたずねていました。

     

    母は父に向かって「まあまあだったわよね〜…子どもたちはいい子に育ったし…」と話していました。

     

    「まあまあな人生」がリアルな母の感想だと思います。思い残すことはあるし、完璧に何の後悔もないとはもちろん思っていないでしょう。

     

    でも最後まで「家族」がそれなりの形で寄り添えまたような気がします。小さい子どもがいる私が最後に父の面倒を看ることになったことは心苦しかったのもよくわかってます。

     

    そして、本心を言えばハッチとナナッチと暮らして楽をしたかったと思います。でも一方で最後まで息子と一緒にいたいというのもあったと思います。

     

    私はいつもこれが最後かもという覚悟があったのでそれほどの後悔がありません。希望であったぽっくり逝きたいという願いはある意味叶ったし、これ以上家族に迷惑かけたくなかったんだろうと思いました。

     

    父と母が最後に会った5/2はゆっくりとした家族の食事の時間が持てました。父は一人でお酒をちびちび飲むのではなく家族で食事の団欒をずっと願っていたというのがよくわかりました。

     

    この日相模原に帰るとき、ナナッチが母の手を引いて車まで一緒に行きました。そのときは本当にうれしそうな顔をしていました。

     

    私も子どもたちに助けられているとつくづく思います。

     

    つづく

     

    母 七夕に旅立つ その3<火葬>

    実家・家族・施設 - - らぴす(ママッチ)

    7/10に納棺式を済ませ、7/11の11時から火葬となった母。

     

    時々妹のそばというか妹の眼を通して自分を見ている様子の母。(に感じました)

    時々涙する妹でしたが、私は相変わらず他にも何人も火葬される方がいたので子どもたちがあまりうるさくしないように神経が子どもに集中して全く泣けず客観的なママッチ。

     

    納棺式のときに入れたバラや手紙の他にさらにお花をたくさんいれてどんどん顔がきれいに変わっていき一番いい顔をしていました。

     

    ハッチとナナッチもおばあちゃんの顔の周りにたくさんお花を飾ってくれて最後のお別れ。

     

    納棺式でゆっくり家族だけでのお別れができていたので、そうそう長い時間もとれないと思い「ありがとう」を言って棺桶の蓋が閉まりました。

     

    ハッチとナナッチには「死んだ人は最後は焼いて骨だけになっちゃうからね」と説明していました。

     

    焼かれている間、お清めを頂きながら葬儀屋さんの男性も交えてお話しているとその方のお祖父さんがパーキンソン(私達の父も糖尿病でパーキンソン)で東京の病院に入院したが奇声を発するので個室じゃないとだめと言われ月に40万の支払が一年続いたと聞いて、「ひえ〜老健で12万の支払でも年金が少ないのでひ〜ひ〜言ってるのに信じられません!」とびっくりしました。

     

    そして骨だけになったおばあちゃんに対面することになるのですが、、、

     

    骨を見たい見たいとキャッキャしていたハッチとナナッチでしたが、ナナッチが「お母さん抱っこして。よ〜く見たいから」というので抱っこして骨を見てここがどこの骨とか説明を聞いていると・・・

     

    ナナッチが私の顔をじ〜と見て「骨になって悲しい〜」としくしく泣き出したのです。

     

    今までは妹のところにいた母がナナッチのところに来たときょうだい全員が瞬時に理解しました。

     

    すると、弟がナナッチに向かって「お母さん・・・」と話かけだしたので、私は「おいおいそれはやめてよ」と心でつぶやきましたが泣き方がいつもと違うので「骨になってもこころの眼は残ってるから大丈夫だよ」と何度もなだめました。

     

    少ししてナナッチも普通に戻り、今度の使命は私と妹で透析で20年もお世話になった病院にご挨拶に行くことと、ご近所の不義理をしてしまっていた方々にお詫びと葬儀が終わった報告をしに行くことでした。

     

    こうなると完全に母の代わりに動かされている状態です。浄化してもらうためにはやるべきことをどんどんやろうと迷わず決意しました。

     

    車の中でハッチとナナッチが喧嘩していると「うるさい〜ってお母さんが言ってるから静かにして〜」と妹。なんか過敏になっている妹。

     

    透析を20年して頂いた病院に着くと先生もご挨拶に来て頂き、ロッカーに残っていた荷物を預かりに行きました。

     

    すると、そのロッカーの番号がナナッチの誕生日2/16の「216」番でびっくり。

     

    そして、次はご近所のお世話になった方に火葬を終えたことをご報告。まずは一番お世話になった方のおうちへ。

    父と母が社員食堂の自営で共働きだったので小さいころから預かって面倒みて頂いたIさんのおばちゃんとおじちゃん。

     

    Iさんのおばちゃんは「水臭いじゃないの!!!」と怒っていました。Iさんのひ孫さんがなんと男の子と女の子の双子だそうでそれもまたびっくり。

     

    父の介護やら現実を受け入れられなかった母は私からみたら介護うつのように見えました。近所の人にうまく助けてを言えなくなっていて誤解されていたというか人格も変わっていたと思います。

     

    「本当に付き合いが下手ですいません、おばちゃんには本当に感謝しています。うちの両親が働けたのはおばちゃんが私達を面倒みてくれたからです」と平謝り&感謝。

     

    「施設に入っている父がIさんのおじちゃんとおばちゃんには本当に感謝していると涙を流しながらお礼をしてくれと言われてたんです」と話すとおばちゃんの心は少しほぐれたようでした。

     

    私はおばちゃんに「おばちゃんが私達の面倒を見てくれたから養子の子どもを迷いなく育てることができるのかもしれない」と言い忘れた!と車の中で後悔しました。

     

    そんなこんなで、一応今やるべきことは済んだかなと使命を果たした私達は町田に戻り一泊して翌日12日に愛知県の父が入院する病院に向かいました。

     

    つづく

     

     

     

     

     

    母 七夕に旅立つ その2(納棺式)

    実家・家族・施設 - - らぴす(ママッチ)

    7/7に母が他界し、7/8に死亡が確認され7/9に安置室に家族で会いに行きました。

     

    ハッチとナナッチはホテルが大好きなのでホテルでのお泊まりが楽しくてしょうがない様子。

     

    7/10は12時から納棺式でした。妹が「お母さんが赤いバラを納めて欲しいって!」と言いました。

    なんと私には安全地帯のマスカレード「あなたは嘘つきな〜バラ〜♪」という曲が鳴り響いていたのです。

     

    やっぱりなんだかんだ言っても最強の「バラ」か〜女は・・・素直な母の気持ちだと思いました。(私は最後どの花を選ぶのだろうか・・・と思ってしまいました)

     

    12時まで時間があるから、バラを買って、手紙を書いて入れることにしました。

     

    ハッチからは「おばあちゃん、今度ドライブしようね!」(ん?あんまり死んだ意味がわかってないかも・・・)

     

    ナナッチからは「おばあちゃん、天国の皆とたくさん遊んでね」(すごい!・・・わかってる・・・)でした。

     

    納棺式ではメイクもして頂き、最初の土色の肌でちょっと怖かったおばあちゃんがきれいになりました。

     

    「なんか観音様に見えてきたね」ときょうだい達。。。

     

    口紅もローズピンクにしてもらい、顔まで剃ってからファンデーションを塗ってくれるのにびっくりしました。

     

    ナナッチはお化粧に興味津々。

     

    白装束になり、最後あの△のがおでこにされたらおばけみたいで笑ってしまいそうとまたもや不謹慎なママッチ。

    さすがにそうはなりませんでした・・・

     

    母に産んでくれてありがとう、お疲れ様!を言って1時間ほどで終わりました。バラの花もお手紙カードも入れて

    「おばあちゃん喜んでるよ」

     

    納棺式が終わり時間があったので、座間の永代供養をしてもらうお寺を見学に行こう!ということになりました。

    こんなにゆったりと母を送ることができるなんて家族だけの葬儀もいいなと心底思いました。なにしろ母の気持ちがよく伝わってくるのです。

     

    お寺についてここがいいよねと確認できて、夕食は町田で妹と色々話しました。昨年歩けなくなって入院したあとは、私が母のケアマネさんに電話をして、月・水・金は透析なので、火・木・土はデイサービスにしてください、食事はお弁当を宅配してくださいと頼みました。最初こそ嫌がっていたデイも最後は楽しく行けるようになっていました。

     

    歩けなくなってしまったときは父の介護で近所の人たちとの交流もなくなってしまっていてかなり辛い状況だったのでデイの方たちと交流できてよかったなと思っています。一年前の状況で亡くならなくて本当によかった。

     

    翌日はいよいよ火葬です。

     

    つづく

     

     

     

    2017/7/7七夕の夜に旅立った母 その1

    実家・家族・施設 - - らぴす(ママッチ)

    2017/7/7七夕の夜に母が天国に旅立ちました。

    思い返せばちょうど一年前の7/7に父と母は別々に暮らすことになりました。

    父は私が愛知県の老健施設に入所させ、母は歩けなくなってしまっていたので相模原の病院に入院することになったのです。

     

    七日の夜、母が一緒に住んでいる(独身の)弟に胸が苦しいと電話したそうですが、弟は救急車を呼ばなかったので家に帰ったときはすでに心肺停止の状態で亡くなっていたようです。その後近くの大学病院に運ばれ心臓マッサージを一時間位したそうですが戻らず7/8の午前1時1分に死亡が確認されました。

     

    7/8の朝ラインを見るとお母さんが亡くなった…と書いてあり、子どもたちに今日のたんぽぽ会は行けないと話すと大号泣。

     

    私の車で一緒に鈴鹿に向かうはずのクレープ夫妻さんに連絡しないと!と思いましたが弟から連絡があり、家で亡くなったので解剖しなければいけないと言われている…とのこと。すぐに向かっても待つ場所もないし(実家は荷物であふれ泊まれる状態になく)いつ葬儀になるかわからなかったので結局参加することにしました。

     

    一年前に父が施設に入所するときに必要な介護保険負担限度額認定証というのを申請するために父と母の通帳のコピーを取り、お金の流れを把握していたので、葬儀社に電話をするように弟に伝えました。「どこに連絡すればいいのかわかんない」というので我が家にある母の通帳のコピーを見て「○○○!」と怒りながら連絡しました。なんでそんなことも同居の弟に伝えていないの?という怒りと弟が何もわかっていないことへの苛立ちと、一年前にお金の流れを把握しておいて本当によかったと安堵感といろんな感情でかなりピリピリしていました。

     

    たんぽぽ会は無事に終わり、クレープ夫妻さんとショコラ君と帰りにマックに寄って晩御飯を食べたときに実は母が亡くなったとクレープ夫妻さんに話しました。そのころには火葬は11日に決まったとラインが入っていました。

     

    たんぽぽ会の帰りの夕日を見るとなんと彩雲が!母も子どもたちが楽しみにしていたたんぽぽ会の邪魔はしたくなかったんだろうと思いました。

     

    家に帰ると実家には泊まれないので町田のホテルを3泊予約して9日の午前中に出発しました。アメリカに住む妹も9日には町田に到着できるというので9日はとにかく皆で安置室に向かってお母さんに会ってから弟も一緒に町田で飲む予定をたてました。

    パパッチは二日間お休みをもらえたんですが、お義母ちゃんの2カ月に一度の認知症の診察があったのでお義母ちゃんの面倒をみててもらうことにしました。

     

    妹の旦那さんもどうしても仕事がキャンセルできず来日できなかったので本当に子どもたちと孫たち(ハッチとナナッチ)だけで見送ることにしました。

     

    町田には4時間位で着く予定でしたが、厚木インターから町田インターまでの間が事故渋滞ということで厚木インターで降り町田に向かいましたが、真言宗で永代供養をしている座間にある御寺の前を偶然にも通ることになりました。

     

    父も母も一年前からいつ亡くなってもおかしくないくらい状態がわるかったので葬儀はここ、永代供養の御寺はここに頼もうと色々とシュミレーションしていたのです。

     

    「これはもうこの御寺でOKというサインだわ〜」とラインを入れました。母の好きな観音様も祀られていて雰囲気もいい感じの御寺でした。

    町田まで下道もだらだらと混んでいて結局着いたのは夕方の5時でした。

     

    町田で妹に会うと、「お母さん今日は満面の笑みでみえたよ。亡くなってから自分のきょうだい達に会いに行ったみたいだけど、八王子の○○おじさん(母の弟)をまっさきに見せて心配してるみたい。」と妹。

     

    「ハッチとナナッチが来てくれたから何より喜んでるでしょう〜」と私。

     

    私はハッチとナナッチに「死」を教えるということで結構頭がいっぱいで、弟が安置室で撮った母の姿をラインで送ってもらい出発前にハッチとナナッチに写真を見せました。

    おばあちゃん死んじゃったよと説明しながら、なぜかその写真が化粧っけもなくちょっと怖い感じだったので私が笑ってしまいました。(←不謹慎)

    二人には「おばあちゃんにお化粧してあげようね〜」と言いました。

     

    安置室では写真を見せていたこともあり、そう怖がらずに二人はおばあちゃんの顔を触って「冷たい〜」と言っていました。

    おばあちゃんは今、透明人間みたいになってこころのお目目だけで見てるよ〜と説明。「たましい」は意味がわからないので・・・。

     

    どうも妹のところに母がいるようで、妹を通して自分の遺体を見ているようでした。私は子どもたちの対応と反応を見るので感傷に浸る余裕もなくといった感じでした。

     

    とりあえずその後町田で飲んでゆっくり話そうということになり、10日は12時から納棺式ということでその翌日11日の11時から火葬というスケジュールになっていました。

     

    結局警察が家に来て遺体に外傷がないことから解剖はしなくていいことになりました。死因は心不全とのことでした。

     

    20年近い人口透析を続けていましたが、最後は楽に行けてよかったと思いました。ただ弟が救急車を呼んでいたら弟が最後を看とるくらいはできたかもしれません。

     

    ハッチとナナッチ居酒屋でたくさん食べて楽しそうにしていました。二人は大人の仲間入りをして特別な体験をしているといった感じもありました。

     

    私とハッチとナナッチがシンポジウムの帰り6/25(亡くなる13日前)に相模原に寄って母と一緒にランチをしたときのことを話しました。

     

    ランチが終わり、私の車で実家まで母を送ろうとしたとき、ハッチもナナッチも「おばあちゃんの隣はいや〜!!」と今までそんなことはなかったのに二人ともおばあちゃんの隣に座れなかったの。だからそのときから子どもたちは何かを感じてたのかもね…」

     

    母は父の介護から解放されたのもよかったのか、半年くらい入院したあとなんとか杖を持って歩けるまでになり父の老健にも何度かお見舞いに来ていました。ランチしたときも今度は7/9に父の入院先にお見舞いに行きたいと日にちを決めてからわかれました。

     

    弟によると9日にお見舞いに行くので服にアイロンをかけていたとのこと。

     

    しかし、7/9を待たずに旅立ってしまいました。

     

    つづく

     

    足の火葬

    実家・家族・施設 - - らぴす(ママッチ)

     

    父の足のジョクソウが悪化して結局もう一方の足も切断せざるを得なくなり手術をしました。

     

    本人も足が痛いし嫌とは言いませんでした。

     

    病院はなんといつもドラマ「マザーズ」の母子寮を撮影をするところの近くです♪

     

     

     

    手術後すぐ段ボールに入った足を持ってきてくださいました。

     

    ごみとして捨てることはできないので 火葬場に持って行かなければならない とのことゆう★

     

    翌日足を切断したという診断書を持って火葬場に行きお金を払い足を置いてきました。

     

    骨を持って帰るというのはできない とのことです。

     

    手術の前日いつものように腰などをマッサージしていると(切断するほうの足が痛いので)「さすってくれ」と言われ心の中で

    長年働いてくれてありがとうを言いましたき

     

     

    胃ろうでもシュウマイ食べる・・・

    実家・家族・施設 - - らぴす(ママッチ)

     

    先日、老健から電話がありました。

     

    「どうしてもシュウマイが食べたいとすごい剣幕なので5月2日に言語聴覚士と看護師が付き添い食べて頂くことになりました」

     

    「わかりました。シュウマイ持って行きますね。ちょうどその日は母と弟がお見舞いに来るので・・・」

     

     


    なので、5/1にシュウマイを作って持って行きました。

     

    長い結婚生活の中で3回くらいしか作ったことがないシュウマイを〜

     

    ハッチもナナッチもお惣菜のシュウマイはお肉だよと言っても絶対に食べなかったんですが、私が作ったものは「おいしい〜」と食べてくれました。(シュウマイ克服)

     

    どうやって食べさせるんだろう?すりつぶしちゃうんだろうな〜

     

     

     


    と思いきや、そのまま出してくれました。ただ、なめらかなかまなくていいおかずと一緒に絡めて!

    ゲホゲホ涙流しながら食べてました。痰の吸引をしてもらいながら!

     

    咳が出せなくなったら完全に胃ろうのみになるのかなと思います。

    看護師さんが食べさせてくれてますたが、長くなりそうなので母が食べさせることに・・・

     

     

     

    すると、あげるペースが早すぎて夫婦で喧嘩に・・・

     

    父は、家族と一緒にご飯を食べれるなんてずいぶん久しぶりのことなので、ゆっくりと話ながら食べたかったようで・・・

     

    実家ではちびちびウイスキーを飲みながらちょっとつまむという感じだったので、とっとと食べちゃって〜という感じが耐えられなかったのでしょう。。。

     

     


    最初は全然声が出なくて、何言ってるか全然わかりませんでしたが、マッサージと食事でかなり声が出るようになりました。

     

    もっとこうして欲しいああして欲しいが強いので、不満とか怒りとかのエネルギーで保たれているようなところがありますが、怒り爆発で老健の医師に「シュウマイが食べたい」と言ったおかげで願いが叶いました。(結局シュウマイ2個食べました)

     

    今日(5/5)はハッチが放デイで子どもたちでランチ作りをしているようです。
    ナナッチは、ちょっとだけお勉強とお買い物&老健コースです。

     

    胃ろうになりました・・・

    実家・家族・施設 - - らぴす(ママッチ)

    ★父の老健で〜

     

    1月に父の足のジョクソウがひどくなり手術をしました。

    そのあと2月になっても、熱が下がらず糖尿があるので、経過があまりよくない状態が続いていました。

    このまま死んじゃうかもと本気で思って、お葬式について調べたり、遺影の写真をどうするかとか皆で考えました。笑

     

    遺影の写真は私がデジカメで撮った最近のでいいか〜と妹にラインで送ると、妹の旦那さんが「No!!!」と却下汗

     

    アルバムを全部見直し我が家にある数少ない父の写真から親戚の結婚式のときに私が撮った一枚を選んだら「OK手」と妹の旦那の了承を得ました。(父が50代の頃の写真で一番父親らしさが出てる笑顔のもの)

     

    父は声もでなくなり、食事もできなくなり、鼻からチューブで栄養や薬を取っていましたが、鼻のチューブを抜いてしまったことがあり、再度レントゲンを見ながら入れないといけないということで、たびたびやられても困る・・・ということでミトンのような手袋をすることになりました。(拘束にあたるので老健からは家族に連絡が来ます)

     

     

     

     

    もうこのまま弱って寿命・・・ということも考えられたので、生きているうちに会っておこうということで妹がアメリカから帰国しました。

     

    私達二人でお見舞いに行くと、実家に帰れるのでは?と考えたようで、父がものすごい実家に帰りたいモードに入ってしまい、ミトンも被害妄想を助長する結果になり、わがままとうか不満が爆発したときがあって、妹がはじめて父の手に負えないわがままを目の当たりいにし、どっと疲れてしまいました。

     

    わかったでしょ!怒りモードがどんなか〜。こんなもんじゃないときあったよ、顔をぶるぶるふるわせるくらい怒ってたときとか、やばいと思って公園に連れ出したんだもん…毎日今日はどんなかびくびくだよ〜

     

     

     

     

    そんなこんなで、数日間毎日お見舞いに行って2人でマッサージをし続け、なだめていたら、どんどん声が出るようになりました。

     

    とにかく口から食べれるようになろう!ということで、老健の人達もまずはゼリーを食べるというリハビリをしてくれるようになりました。リハビリを数日するうちに、父が「ご飯と梅干と白菜の漬物が食べたい」と言い出しました。そう思えるようになっただけすごいと思い、練り梅を買ってきて、ゼリーでリハビリ後、ソフト食になったときにご飯のような(茶碗蒸しくらいやわらかい)ものに練り梅を混ぜて、私がはじめて食べさせました。すると、嬉しそうな笑顔が出ました。梅干しは祖母が毎年作ってくれていたので、格別な想い出があったんだと思います。

     

     

     

    妹が来てくれていた2月14日のバレンタインデーの日に、2人でマッサージをしながら色んな話をしました。

     

    結局、お父さんておばあちゃんが一番好きなんじゃない?」(なんでも手作りで作ってくれたしね、食べ物は…胃がんのおじいちゃんの面倒を家で見てたし、それと比べられたら誰もかなわないわ〜)

     

    「(迷わず)うん!(やっぱり!母には絶対に言えない)」

     

    天国のおばあちゃん、喜んでるだろうな〜男はお母さん大好きなのわかるわ〜

     

    胃ろうの話ですが・・・鼻にチューブしながらの昼間のソフト食も辛いので、先日老健の関連の病院で胃ろうの手術をしてもらいました。老健の先生や看護師さんから胃ろうのメリットデメリットを色々伺っているうちに父もわかったようで、納得しました。

     

    今は、昼間だけソフト食で朝と夜はチューブで栄養でしたが、3食とも食べれるようになれば、胃ろうを辞めることも可能だと…でもパーキンソンなのでどんどん食べられなくなると思います。だからこそ熱が下がった今がチャンスというところもありました。

     

    胃ろうって、延命治療みたいに思っていましたが、それをしないと口からの食事だけではカロリーも栄養も薬も取れないので、受け入れるしかない!それを受け入れないとすぐに死んでくださいと言っているようなものだし・・・選択の余地なし!でした。

     

    私がソフト食を食べさせているときに、茶碗蒸しくらいのやわらかいものを一口入れただけで、ゲホゲホ言っているので、本当に口から食べれないんだということがよくわかりました。(咳も出せないようになったらいよいよ胃ろうのみになってしまうようです)

     

     

     

    ナナッチ、年長さんの卒園式にでました。

    女子が号泣しているのを見て、ナナッチもつられて大泣きしていたようです。

     

    あと、年中の先生のひとりが退職されるので、「☆☆先生に会えなくなるのが悲しい」と家でも大号泣悲しス。

     

    感受性豊かですクローバー


     

    父と母の再会2(新しい施設)

    実家・家族・施設 - - らぴす(ママッチ)

     

     

     

    昨年(2016年)の7月に父がうちの近くの老健に急遽入れて頂くことになり、歩けなくなった母は緊急入院させて頂きました。

     

    その後アメリカから妹が来て、弟が母を連れて老健にお見舞いに来てくれました。(10月)

     

    二カ月ぶりの母は激やせしていてびっくりDosomo_kao9

    痩せると皺がすごく目立つので、一挙に老けたような・・・

     

     

    父は12月に新しい老健に入所しました。その施設に先日、弟がまた母を連れて見舞いに来てくれました。

     

    母は、杖をついてなんとか歩ける状態になり、退院して、人工透析のない日はデイでお世話になることになり、食事は宅配のお弁当を頼んでいます。透析があるので、老健や特養は厳しいのが現状です。

     

    義母も腰の圧迫骨折で、デイに行けなくなったとたんおむつになりました。(トイレには行けますが失敗があります)

     

    子育てと介護が重なると、親の介護問題のほうが断然精神的にしんどいです汗

     

     

    子どもはどんどん理解が深まり色んなことが出来るようになる。

    親は、どんどん色んなことができなくなる。

     

     

    父と母は認知の低下もあり、大した会話をしていませんでしたが、母はハッチとナナッチに会えたのでうれしかったと思います。

     

    施設で面会したあと、近くの公園で遊び、ハッチが初詣で買えなかった御守りを買いにまた神社に向かいましたキラキラ

     

     

    やっと3人で写真が撮れてハッチは自分で御守りの色を決めて買うことが出来ました。

     

    この日は迷わず緑をチョイス。えへ


     

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