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    母 七夕に旅立つ その3<火葬>

    実家・家族・施設 - - らぴす(ママッチ)

    7/10に納棺式を済ませ、7/11の11時から火葬となった母。

     

    時々妹のそばというか妹の眼を通して自分を見ている様子の母。(に感じました)

    時々涙する妹でしたが、私は相変わらず他にも何人も火葬される方がいたので子どもたちがあまりうるさくしないように神経が子どもに集中して全く泣けず客観的なママッチ。

     

    納棺式のときに入れたバラや手紙の他にさらにお花をたくさんいれてどんどん顔がきれいに変わっていき一番いい顔をしていました。

     

    ハッチとナナッチもおばあちゃんの顔の周りにたくさんお花を飾ってくれて最後のお別れ。

     

    納棺式でゆっくり家族だけでのお別れができていたので、そうそう長い時間もとれないと思い「ありがとう」を言って棺桶の蓋が閉まりました。

     

    ハッチとナナッチには「死んだ人は最後は焼いて骨だけになっちゃうからね」と説明していました。

     

    焼かれている間、お清めを頂きながら葬儀屋さんの男性も交えてお話しているとその方のお祖父さんがパーキンソン(私達の父も糖尿病でパーキンソン)で東京の病院に入院したが奇声を発するので個室じゃないとだめと言われ月に40万の支払が一年続いたと聞いて、「ひえ〜老健で12万の支払でも年金が少ないのでひ〜ひ〜言ってるのに信じられません!」とびっくりしました。

     

    そして骨だけになったおばあちゃんに対面することになるのですが、、、

     

    骨を見たい見たいとキャッキャしていたハッチとナナッチでしたが、ナナッチが「お母さん抱っこして。よ〜く見たいから」というので抱っこして骨を見てここがどこの骨とか説明を聞いていると・・・

     

    ナナッチが私の顔をじ〜と見て「骨になって悲しい〜」としくしく泣き出したのです。

     

    今までは妹のところにいた母がナナッチのところに来たときょうだい全員が瞬時に理解しました。

     

    すると、弟がナナッチに向かって「お母さん・・・」と話かけだしたので、私は「おいおいそれはやめてよ」と心でつぶやきましたが泣き方がいつもと違うので「骨になってもこころの眼は残ってるから大丈夫だよ」と何度もなだめました。

     

    少ししてナナッチも普通に戻り、今度の使命は私と妹で透析で20年もお世話になった病院にご挨拶に行くことと、ご近所の不義理をしてしまっていた方々にお詫びと葬儀が終わった報告をしに行くことでした。

     

    こうなると完全に母の代わりに動かされている状態です。浄化してもらうためにはやるべきことをどんどんやろうと迷わず決意しました。

     

    車の中でハッチとナナッチが喧嘩していると「うるさい〜ってお母さんが言ってるから静かにして〜」と妹。なんか過敏になっている妹。

     

    透析を20年して頂いた病院に着くと先生もご挨拶に来て頂き、ロッカーに残っていた荷物を預かりに行きました。

     

    すると、そのロッカーの番号がナナッチの誕生日2/16の「216」番でびっくり。

     

    そして、次はご近所のお世話になった方に火葬を終えたことをご報告。まずは一番お世話になった方のおうちへ。

    父と母が社員食堂の自営で共働きだったので小さいころから預かって面倒みて頂いたIさんのおばちゃんとおじちゃん。

     

    Iさんのおばちゃんは「水臭いじゃないの!!!」と怒っていました。Iさんのひ孫さんがなんと男の子と女の子の双子だそうでそれもまたびっくり。

     

    父の介護やら現実を受け入れられなかった母は私からみたら介護うつのように見えました。近所の人にうまく助けてを言えなくなっていて誤解されていたというか人格も変わっていたと思います。

     

    「本当に付き合いが下手ですいません、おばちゃんには本当に感謝しています。うちの両親が働けたのはおばちゃんが私達を面倒みてくれたからです」と平謝り&感謝。

     

    「施設に入っている父がIさんのおじちゃんとおばちゃんには本当に感謝していると涙を流しながらお礼をしてくれと言われてたんです」と話すとおばちゃんの心は少しほぐれたようでした。

     

    私はおばちゃんに「おばちゃんが私達の面倒を見てくれたから養子の子どもを迷いなく育てることができるのかもしれない」と言い忘れた!と車の中で後悔しました。

     

    そんなこんなで、一応今やるべきことは済んだかなと使命を果たした私達は町田に戻り一泊して翌日12日に愛知県の父が入院する病院に向かいました。

     

    つづく

     

     

     

     

     

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