母 七夕に旅立つ その4(父の病院に向かう)

実家・家族・施設 - - らぴす(ママッチ)

母の火葬が終わり、翌日妹も一緒に愛知県に車で向かい父の病院に行って母の死を告知することにしました。

 

次から次へと課題が出てきて火葬が終わっても一応一段落…という気持ちには全くなれませんでした。

 

それでも私一人で告知するより妹がいてくれることが何倍も心強かったので神奈川から愛知へのドライブは重々しい気分ではなく済みました。

 

ちょっとお腹がすいたので休憩&食事をすることに…

 

子どもたちはうどんがいいと言い、私はあまりお腹が空いていなかったので迷っていると妹が「そばが食べたかったのに、手が勝手に五目ラーメン押しちゃったわ〜」(爆笑)

 

「え〜まじで?お母さんラーメン好きだったもんね。それに野菜も制限あったから五目ラーメン食べたいのかもね」と私。

 

私は、お腹がそれほど空いていなかったので子どもたちと妹が食事をしているときにSAをぐるっと一回りしてきました。

するとなんと横浜の崎陽軒のシュウマイ弁当が売っているではありませんか!

 

父がこじんまりとシュウマイ弁当を作って商売がしたいと私に訴え、母が老健にいる父のお見舞いを最後にしたときも私が作ったシュウマイを母が食べさせた想い出のシュウマイ(笑)

 

その近くに飾られているF1?だかの車のナンバーが今日の「12」。

 

シュウマイを食べようかと思いましたが、あまりお腹が空いてなかったので結局私もミニラーメンにしました。

父と母が最後に会ったのが老健で2017/5/2で、父がシュウマイをどうしても食べたいというので吸引機を用意してもらいながら食べさせる日でした。

 

ちょうどそのときに弟と母が見舞に来る日だったので皆で父のシュウマイを食べるのを見守りました。(命がけ。汗)

 

私も後悔のないように冷凍シュウマイはやめて前日に手作りして届けていました。

 

そのままでは食べられないだろうと思いましたが、小さくして食べることができたのです。

そして、母親に「お父さんに食べさせてあげたら?」と言って、食事の介助をやってもらいました。

 

父は「ペースが速いんだ!」と怒ったり、「ゆっくり家族で食事をするというのがしたかったんだ」というようなことをポロっと言いました。

 

老健の方達もゆっくり食べてくださいねと言ってくださり、父と母はゆっくり食事の時間が持てたのです。

 

私はその時母に、父と母の遺影の写真はどれがいいか決めてもらいました。父は50代前半の親戚の結婚式のときの写真(私が撮影したもの)
母も50代のときの写真で私が着つけをして神社に参拝に行ったときの写真を選びました。

 

そしていつこれが最後になってもおかしくないと思っていたので、母親に自分の今回の人生がどうだったかとたずねていました。

 

母は父に向かって「まあまあだったわよね〜…子どもたちはいい子に育ったし…」と話していました。

 

「まあまあな人生」がリアルな母の感想だと思います。思い残すことはあるし、完璧に何の後悔もないとはもちろん思っていないでしょう。

 

でも最後まで「家族」がそれなりの形で寄り添えまたような気がします。小さい子どもがいる私が最後に父の面倒を看ることになったことは心苦しかったのもよくわかってます。

 

そして、本心を言えばハッチとナナッチと暮らして楽をしたかったと思います。でも一方で最後まで息子と一緒にいたいというのもあったと思います。

 

私はいつもこれが最後かもという覚悟があったのでそれほどの後悔がありません。希望であったぽっくり逝きたいという願いはある意味叶ったし、これ以上家族に迷惑かけたくなかったんだろうと思いました。

 

父と母が最後に会った5/2はゆっくりとした家族の食事の時間が持てました。父は一人でお酒をちびちび飲むのではなく家族で食事の団欒をずっと願っていたというのがよくわかりました。

 

この日相模原に帰るとき、ナナッチが母の手を引いて車まで一緒に行きました。そのときは本当にうれしそうな顔をしていました。

 

私も子どもたちに助けられているとつくづく思います。

 

つづく

 

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