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    お正月☆四季咲桜を発見!

    実家・家族・施設 - - らぴす(ママッチ)

     

     

     

    年末の31日は大掃除で父の施設に行けなかったので、元旦は行きましたが、父がすごいイライラしていて、義足を作ってもらえないことがひどい被害妄想になっていて、これはもう明日公園にでも行って気分転換してみるしかない!と思いましたアセアセ

     

     

     

     

    父の施設に行く前に神社に行きました。

     

     

     

     

    いつもと違ってたくさんの人がいたせいなのか私が叱ったからなのかなんなのか、ハッチがちょっとした癇癪で、御守りの色が決められなくてハッチのだけ買わずにこの日は退散しました。(写真も一緒に撮れず…)エリザベス

     

     

     

     

    そのあと、父の施設に行って、近くの公園に連れ出すことにしました。

     

    ハッチが公園にいた同じ年くらいのお友達と一緒遊び出してやっと機嫌がなおりました。

     

    そのときに、なんと桜を発見moe

     

     

     

     

    四季咲桜という桜が咲いていて、以前から父が「桜を見たい」とよく言っていたので、ハッチのご機嫌も父のご機嫌もなおる絶好のチャンスになりました手

     

     

     

     

    二日はそれほど寒くもなく、散歩できて本当に助かりました。子どもたちも公園で思う存分遊べて大満足!!

     

     

     

     

    3日は弟が母を連れて、施設に来るというので、とにかくこのイライラモードをなんとかしておかなければやばい!ということで散歩に出かけましたが、物質的に満たしているだけではやはりだめで、父は自分に向けてくれる愛情が欲しいんだなとつくづく思いましたkyu

     

    自分のことを思って行動してくれるということに飢えていたのかもしれません涙

     

    予期せぬ親の介護

    実家・家族・施設 - - らぴす(ママッチ)

     

     

    私の父が老健→老健に移動するときに、介護タクシーを使いました。

    介護タクシーも初体験。

     

    最初は土曜日ならパパッチも一緒に移動に付き合ってもらえるので、土曜日に入所したいと頼みましたが、「平日でお願いします」とのこと。(スタッフからの説明等が色々とあるため)

     

    私が片足の人を介助する方法が全くわからないので、介護タクシーに父を乗せ、私は自分の車で新しい老健に移動しました。

     

     

     

     

     

    そして、今度は、父がどうしても眼鏡を作りたいというので、私が福祉車両をトヨタレンタリースで借りて車椅子ごと車に乗せ、眼鏡を作りに行ってきました。

     

    普通の近眼とか老眼ではなくて糖尿から見えなくなっているので、見える眼鏡を作れるかわからないんだからねと念を押し、眼鏡を作りに行きました。

     

    福祉車両を借りて、車椅子で乗せるのも初体験なので、ドキドキでしたが、なんとかなりました!

     

    結局、予想通り劇的に見える眼鏡は無理でしたが、レンズの傷があったりフレームがぐらぐらだったので、同じような度数で新しく眼鏡を作りました。作ってもらえたことが大事なのかもしれません。

     

    妹が瞑想をしていたら、父方の祖父母が笑顔で出てきたらしく「おじいちゃんとおばあちゃん、(新しい施設に変わって)喜んでるよ」とラインが来ました。

     

    「頑張って動いてよかった〜」と心から思いました。(これもケアマネさんの助けがあってのことです)

     

     

     

     

    これで父も落ち着いて年を越せるかな・・・と思ったところで、同居の義母が夜中トイレに起きて転んだんだか(認知症なので覚えていない)なんだかで、3日しても腰が痛い痛い言うので病院に行くと、腰を圧迫骨折していました!

     

    とりあえず、デイサービスを少しお休みすると電話をして、ケアマネさんにも電話して、トイレの手すりと起き上がるときの手すりを介護保険でレンタルする手配をしてもらいました。

     

    ありがたいことに今日電話して、今日の夕方には設置してもらえました。

     

    いつからデイサービスを復活できるかわかりませんが、週一回はお風呂に入らないとまずいかなと思い、お風呂のときだけデイサービスを入れてもらいました。

     

     

     

     

    とりあえず、今週はデイを休み、来週コルセットでデイに行けるか病院と相談です。

     

    ハッチが、二年生になって色んなことに慣れて落ち着いた時期で本当によかったと思いました。

     

    やればやるだけ色々できるようになっていく子供たちと、色々できなくなってくる親たち。

     

    子どもたちもそうですが、親もたくさんの人たちに助けられているんだなとつくづく思います。

     

    父で言えば、施設の方々、義母はケアマネさん、デイサービスの方々等々・・・

     

    結局生まれつき障がいのある人達だけが特別人の手を借りているわけではなく、年を取ればたくさんの人たちの手を借りなければいけないのかと思うと最後は皆同じかも・・・と思えてきます。

     

     

     

     

    発達障害より、認知症やパーキンソンのほうが対応が大変な状態になってます(汗)

     

    親達のほうが大変だから、余計ハッチがなんでも出来るように思えてくるというのもありますが!

     

    私ひとりで介護していたら、子育てとの両立は絶対にできていないと思います。

     

    同い年のケアマネさん!いつも迅速に対応して下さり本当にありがとうございます♪

     

    親の介護はケアマネさんの支えなしでは乗り越えられません!

     

    父の施設変わりました

    実家・家族・施設 - - らぴす(ママッチ)

     

    私の母が今年の6月頃から歩けなくなり、父の世話を全く看れなくなり入院しました。

    そして、父が7月に私の家の近くの老健に急遽入所することになりました。

     

    が・・・三カ月もするともう「出たい」と毎日言うようになり、辛すぎるのか妄想がひどくなり「そこまで嫌なら新しいところを探そう。年内を目標に!」という約束をして、探すことにしました。

     

     

    一応、妹に聞いてみるか・・・(リーディング)

     

    「お父さん、このままでいいのかな?」(何かすっきりしないものがあるけど)

     

    「う〜ん、おじいちゃんが出てきて、感謝してるとは言ってるけど、笑ってないな」

     

    「おばあちゃんも出てきて、お味噌汁作ってるところを見せるんだけど」

     

    「え〜〜〜まじで〜。確かにこのままでいいのかなというのはあるけど、また探すの〜!!!」

     

    「もっとご飯の美味しいところとか、癒されるところっていう意味かな???」

     

    「(面倒だけど)探すしかないよね、、、やっぱり」

     

    ということで!天国の祖父母の助けもあり(たぶん)スムーズに新しい施設に移動出来ました。

     

    今までの老健は緊急で面談もなしで入れてもらえて食事制限などで血糖値も安定したので、そこは感謝だよ!老健に入れなかったら生きてなかったかもしれないんだからね!と言いました。

     

     

     

    特養や老健を何件か見学してみて、ちょっといいくらいでは納得いなかいと思ったので、「ここしかない」くらいにピンと来なければ変わった意味がないと思って探していました。

     

    家からは少し遠くなりましたが、新しくて人も全然違う!と思ったところで空いてる部屋もあるということで老健に申し込みました。

     

    今までが老健の従来型でしたが、ユニット型を見学させてもらったらどうしてもユニット型の個室がいいと思うようになりました。

    (それぞれが個室で8人とか10人で一つのユニットになっていて、食事等の広いリビングもユニットの人たちが集まって食べる)

     

    今日、忠臣蔵の討ち入りの日は母親の誕生日。

     

    母へメッセージを送るために、父の動画を撮りました。

     

    「お母さん、おめでとう、ここはすばらしいよ〜・・・みんなやさしいし・・・」とカメラの前で言っていました。

     

    天と地の差のようです。

     

    地を見たから天と思えるんだとは思いますが。

     

    直接の介護で面倒を看ているわけではありませんが、精神的なケアが大変です。父が慣れるまでは私も神経使います。

     

    検査の結果、認知機能もかなり低下してきていて点数的には認知症のようです。

     

     

     

    前の施設最後の日、家の前で、円の彩雲が見えました。(幻日なのか?わかりませんが)

     

    この日はハッチの発達外来の診察の日でしたが、病院を出たところでまたまた彩雲がありました。

     

     

     

    これでいいんだよ・・・と言われていると、こじつけよう!


     

    父と母の再会

    実家・家族・施設 - - らぴす(ママッチ)

     

     

    神奈川に住む弟とアメリカから帰国していた妹が入院している母を連れて、愛知県まで来てくれました。

     

    土日は透析がないので、、、でも外出届を出して、日帰りです。2時間以上は滞在できる時間がない!という。

     

    ハッチがすかさず、「おじいちゃん、おばあちゃん、何かお話して〜」

     

     

     

     

    母親が施設の中の様子も見たいということで、施設で車椅子を借りて、中にも入りました。

     

    看護師さんたちが、父に「よかったね〜皆来てくれて!」「大好きな奥さんはどこ?」と言うと、看護師さんを指さして、「そんなおちゃめなところもあるんだ」と言われ・・・

     

    本来はお茶目なところもあるんですが、パーキンソンのせいか施設に入って3カ月経って、「出たい出たい病」になっている父。

     

    すべてを悪く取る→悪い妄想に発展・・・というか、出たいがための妄想みたいな感じが多くなってきて、私が数日行けないとすごい不安になるのか、ごはんを食べないストライキになることがあったりして、ごはんを食べないと薬も飲めず、ごはんなしで薬を飲んだら血糖が下がり過ぎるのも怖いしと、看護師さんも大変だろうなと思い、できるだけ行くようにしていますが。。。

     

     

     

     

    とにかく、父と母を会わせるのも最後になるかもしれないということで、「何か話すことは?」と聞いても、最初こそうれしがっていましたが、だんだん喧嘩みたいになってきて、2人でいると悪いところばかりに目が行って、なかなか病気のことも認められないのがよくわかり、離れた意味もよく理解でしました。(離れて正解と)

     

    一時父は、寿命まで長生きしたいと言っていましたが、今はなんで自分だけ自由のない施設にいないといけないのか?ここから出たいんだよ!とそればかりです。

     

    ベッドに手すりがあれば、トイレ(ポータブルトイレ)も自分で出来るし、何が問題なんだ?という感じです。

     

    家での介護になれば、お酒も飲みたくなるだろうし、血糖コントロールもあるし無理なんだよ〜と言っても聞かず・・・

     

     

     

     

    毎日のようにきょうだいとは、ラインで現状を報告しているので、無理して来てくれたんだと思います。

     

    平日は、私ひとりで行き、一時間弱くらい音楽を流しながら会話をする。土日は近くの公園で孫と散歩程度の見守りの介護ですが、今はこれがベストなんだと思いました。

     

    認知症なども妄想が出る人はかなりいらっしゃると思いますが、家での介護はほんとうに大変だと思います。精神的にものすごく疲れるだろうなと・・・大変なら施設・・・だと思います。

     

    施設に入れて誰もお見舞いに来ないときっと「こんなんだから誰も来ないのかな」と思われる不安もあり、できるだけ家族がお見舞いに行っていれば扱いが多少なりとも違うかなと思います。。。

     

    父の変化「寿命まで生きたい!」

    実家・家族・施設 - - らぴす(ママッチ)

    土曜日に茨城県でブロック長会議があり、スタッフ参加をしたので、ホテルに一泊して日曜日帰るときに、母親が入院している病院に寄ってきました。

     

    愛知県の施設に入所している父には、金曜日に見舞に行ったときに母親の病院に行って動画を撮ってくるよと約束しました。

     

    父は、ちょっと複雑な表情で、本当は自分も一緒に行きたいんだろうなというのがよくわかりました。

     

    母親は、町田市(東京都)の病院に転院していて、ハッチとナナッチもその病院ははじめて!

     

    「相模原のおばあちゃん」の部屋に到着すると、母はハッチとナナッチが来てくれたことをとても喜んで、4人部屋から車椅子で出て、休憩所で話そうと飲み物を買ってゆっくり話しをしました。

     

    とりあえず、父の動画を見せて、「お父さんは、お母さんと一緒にしゅうまいを売りたいらしいよ。今度は手を広げず、しゅうまいだけを売って、しゅうまいなら座って作れるからってことで、米沢の名前を入れるとか言ってたよ」と言うと、笑いながら動画も見て喜んでいました。

     

    現実的にはかわなない夢でも、よく考えたね〜と思ったようです。

     

    母親の動画も撮るためにメッセージをもらうと、「今度会いにいくからね〜待っててね〜」と本気で言っていました。

     

    「テレビも何もない部屋で、お酒も飲まずにいるよ」と言うと「え!!!」と心底びっくりしていました。

     

    そんな状況だから、私がほぼ毎日行って、30〜40分位話を聞いてるよ・・・というと「ほんとうに施設に入れてくれてありがとう」と心からお礼を言っていました。

     

    もう先は長くないからと母親は好きなお酒くらい飲ませてあげようという発想で飲ませていたようですが、施設でお酒は禁止です。

     

    血糖コントロールもしているので、3食以外はおやつもたべていません。

     

    それで、かなり血糖値も下がってきました。

     

    月曜日、父に母親の動画を見せるために施設に私が部屋に入ると父は拍手をして喜んでいました。

     

    動画を見せようとすると、「○子(ママッチのこと)のところにはすぐに行けるから、お母さんのところに行ったのもわかってるよ。俺はうれしくて、拍手をしてたんだけど音を立ててはいけないと思ってパチパチとはならさないようにしたんだ」と言いながら、そのときも拍手しながら音はさせていませんでした!

     

    (半分死んだ人みたい。または生霊か?)と思いながらこんなに喜ぶ父の姿を見て、泣きそうになりました。

     

    母親の動画を見せて、「お母さんに何か言いたいことある?」と聞くと、「お互いに長生きしようねと言いたいね。それがあと一年でも二年でもいいから、寿命まで生きたい・・・」と今までの父からは想像もできない前向きな言葉が出て来ました。

     

    歩けない、目もほとんど見えない、ご飯とお風呂以外は個室にこもりきり・・・みたいな生活でも、母親に会えるかも!と思う希望だけで寿命までちゃんと生きていたいと思えるんだと・・・

     

    夢と現実がごっちゃになりながら、妄想のような話にも飛びますが、ちゃんとわかっているところはわかっているんだなと思います。

     

    「今度お母さんと会うときはお前も一緒に来て、口添えしてくれ」とも言っていました。

     

    ほんとうは母親といろんな前向きな話がしたかったけど、2人でいるときは出来なかったからかもしれません。

     

    両親にはできるだけ真実を話しています。施設のお金、入院費はそれぞれの年金から出してるし、なんとかなっているよということ。立て替えている分はちょっとしかない生命保険からちゃんと精算するようにきょうだいで納得してるから心配しないでと言うこと。

     

    母親も父親もお互いの本質はきっととても好き同志なんでしょうが、病気でお金もなくなってくると不満や不安ばかりに支配されてしまっていたんだと思います。

     

    二人とも病気により、自分の気持ちに正直になるようになって、自分の気持ちを正直に表現するようになってきました。

     

    やっぱり最後は家族、、、夫婦なんだなと、、、

     

    施設に入ったばかりのときは、とにかく孫の顔を見せればいいと思っていましたが、あわただしく帰ってしまう私に不満な様子が見えました。自分はひとりぼっちという気持ちに余計させてしまっていたかもしれません。

     

    休みの日は子供を連れて、公園に行きますが、平日は私ひとりでゆっくり話を聞いたり、音楽を聞かせたりするようにしています。

     

    誰かが自分に注目してくれて、気遣ってくれているということがこんなに変化をもたらすのかとびっくりしています。(日々、ちょっとした感動のドラマを見ているように思えます。笑)

     

    介護師さん、看護師さんは少ない人数で多くの人をみなければいけない状況です。

    その中で、必要なのはメンタルケアをしてくださる専門の人がいたらすばらしいなと思いました。

     

    もちろん家族がそれを出来れば一番いいんでしょうが、それが出来ない状況の方もいらっしゃると思います。

     

    今日は偶然、施設で、義母のケアマネさんにお会いしました。

     

    父のこともこのケアマネさんに相談して、そく他県なのに入所できることになりました。こんな最短で施設に入れるなんてほんとう奇跡なんだよ!○○さんのおかげだよ!と父にも説明しました。(父はちゃんとお礼を言ってました!)


     

    親子ってなんだろう?

    実家・家族・施設 - - らぴす(ママッチ)

     

     

    ママッチの実家の両親が急激に弱まって、母は透析ができる病院に入院、父は、母と離れることになり、私達の家の近くの施設に入所してから、私は父の施設に出来る限り毎日通って話をするようにしています。

     

    血のつながった親子ですが、知らないことも多く、いつどうなるかわからないと思うようになってから、自分が後悔しないように色々と話を聞いておこうと思うようになりました。

     

    父は15か16で(中学卒業してから)東京の大森にある蕎麦屋さんに弟子入りしたらしいです。

    それが「愛知屋」と言って、愛知県の人がやっているお店だったらしく、どんなだったの?と聞いてみると・・・

     

    朝は、こげ飯、昼はうどん、晩御飯はおかずがちょっとついて、コロッケとか食べれたけど、とにかく「けちくさいんだよ!」と怒っていました〜。(汗)

     

    給料は3年間毎月3000円と上がらず、でもそこで調理師の免許が取れたようで、転職して会社の社員食堂で働くようになって「それからは出世は早かったよ」と話てくれました。

     

    父と母は長いことある会社の社員食堂を自営していました。ランチのほか、夜は食堂で宴会もあったりして、一日中働いていました。私達きょうだいは近所のおばさんが預かって面倒をみてくれてました。(ほとんどいつも外で遊んでいましたが)

     

    今日は、父が好きだったプレスリーや石原裕次郎の歌の動画を見たあと、美空ひばりの動画を見ると、なぜか母親のことを思い出したようで(たぶんカラオケで母親が美空ひばりの歌を歌っていたから)「土曜日外出できるかな?看護師さんに聞いておいてくれ!」と言うので、「お父さんを相模原に連れていくのは難しいから、お母さんに動画を撮って見せて、お母さんの動画を撮ってくるからメッセージある?」

    と聞くと、「しゅうまい屋をやりたいんだよ。あまり手を広げず。お店の名前はお母さんの出身地の(山形県)米沢って名前を入れようと思ってる」

     

    やっぱり父の頭は働くことが一番にいつもあるんだ・・・と思いながら、「しゅうまい弁当にしてお昼と夕方だけ売ったら?」と言ったら「飯焚かなきゃいけないからな〜」と、現実的な答えが!

     

    「足がないから、座ってやれる仕事じゃないとな〜」と本気で言っているので、「そうだね、しゅうまいなら座って作れるもんね。細々とでもいいから死ぬまで働けたら一番いいよね。」と答えました。

     

    父は母と一緒に商売をすることが一番の願いなんだなとわかり切なくなりました。

     

    父も母ももういつあの世に逝ってもおかしくないので、自分には何ができるだろうと考えてみると、「話を聞く」そしてきょうだいのためには動画を残すというのが一番かなと思います。

     

    父の話を聞いて、人生の最期に何を思うのか教えてもらおうと思います。

     

     

    会いたいよ・・・父の誕生日

    実家・家族・施設 - - らぴす(ママッチ)

     

     

    アメリカに住んでいる妹がまた日本に来ました。

     

    母の入院している病院に行ってスマホで動画を撮ったあと、父の施設にお見舞いに来ました。


     

     

     

    ハッチもナナッチも一緒に行って、公園で母の動画を父に見せました。

     

    「お父さん・・・会いたいよ〜。どうしてる?」

     

    と短い動画でしたが、父は満面の笑みでスマホに向かって「元気ですよ〜」と答えていました。

     

    施設に入る前は、家で動けなくなった母を頼りにイライラと不安でお酒ばかり飲んでいたようです。(糖尿なのに)

     

    糖尿で目がほとんど見えなくなり、片足切断になり、パーキンソンも発症した父を母親は受け入れることができなくなっていたようです。母は、介護うつのような感じになっていました。すごい暗くなっていました。

     

    自分もネフローゼという難病で週3回の透析があるのに、いっぱいいっぱいだったんだと思います。

     

    父の面倒は私が看ることに決まり、安心したのかすごく明るくなってきました。(ボケも加速してますが!)

     

    その数日後にママッチひとりでお見舞いに行ったときの会話。。。

     

    「お父さん、もうすぐ誕生日だね」

     

    「あのまま酒飲んでたら、今頃死んでたかもな・・・」(ちゃんとわかってんじゃん!)

     

    「何か、音楽聞きたい?」

     

    「聞きたくない!歌うほうがいい!」

     

    「え〜じゃあ、森進一がいいの?」

     

    「そうだな」

     

    港町ブルースとおふくろさんの動画を見せると、本気で歌ってました。。。(昔はよくお友達とカラオケで歌ってたもんね)

     

     

    ★9月4日

     

     

    そして、今日9月5日は、父の75回目の誕生日でした。

     

    ゆっくりと話がしたいと思い、ハッチは小学校、ナナッチは保育園に行っているときに施設に行きました。

     

    スマホで動画を撮りながら・・・

     

    「75歳になったけどどう?」

     

    「こんなに生きるとは思わなかった。72、3歳までと思ってた」

     

    「思い残すことはない?」(すごい質問)

     

    「・・・ないことはないよ!でもここまで生きるとは思わなかった。ただ、65から75までの10年間は仕事を棒に振ったな」

    「体がこんなだからな・・・」

    「働いてるときの夢ばかり見てたな・・・」

     

    「働かないと、働かないとっていつも思ってたからじゃない?」

     

    「そうかもな」

     

    「お母さんに何か言うことはある?」

     

    「ごめんね・・・だな」

     

    「何がごめんね?いろいろ?」

     

    「だから、働けなくなってだよ・・・」

    「あと2,3年はお母さんと一緒にいれたら最高だったのにな」

     

    「あの状態のまま一緒にいたらどうだったかな?離れてみてやっと冷静に考えられるようになったんじゃないの?」

     

    「料理を作りたくて、お母さんに用意してくれっていってもやってくれないんだよ。ちょっとした料理でよかったのに・・・」

    「あと、家がどうなってるかだな・・・」

     

    「○○(弟)が結婚したら思い残すことはないんじゃない?」

     

    「そうだな」

     

    「○子(ママッチのこと)は2回も結婚式したもんな」

     

    「は???誰と?あ〜新横浜と旦那の田舎でね・・・あ〜びっくりした」

     

    いつ何があってもおかしくないので、なるべく動画を撮って、you tubeに限定公開でアップして、妹と弟に見てもらうことにしました。母親にも見てもらえるし!

     

    父親が心残りなのは、長年一緒に暮らした母と独身の弟のことのようです。

     

    そして、今日夜の7時前、ハッチと車に乗っていると住宅街なのに、白っぽいへびがうにょうにょと歩いているではないですか!

     

    もうパニックで運転しながら悲鳴をあげました。(ハッチは悲鳴にびっくりしてへびに気がつかず)

     

    「なんで、なんで、なんで?こんな住宅街でへび?」

     

    よ〜く考えたら、今日は父の誕生日。そういえば父は「巳年」でした。こんなオチになるとは!

     

    すべて、ラインで妹と弟に連絡しました!

     

    誕生日動画はとてもよろこんでくれました〜

     

     

    老健施設のお見舞い(パパッチも)

    実家・家族・施設 - - らぴす(ママッチ)

     

     

    夜のイルカショーに行く前に、パパッチも一緒におじいちゃんの施設に行きました。

     

    ママッチ、ハッチ、ナナッチが夏風邪を引いてしまい一週間施設に行けなかったら、パーキンソンを発症しているおじいちゃんが妄想激しくなり、「今日死刑執行の日なんだ」と真剣に言うので、やっぱりお見舞いに行かないと不安とか妄想がはげしくなっちゃうのかなと思い、パパッチに妄想でるかもよ〜と説明しながら一緒に行ってもらいました。

     

    パパッチが行くといつもよりちゃんとするおじいちゃん(父)

     

    外に出て、公園で散歩したので、動画を撮り入院している母に送りました。

     

    今日も施設ではちゃんと食事が出るところはいいと言ってました。でもやっぱり母親には会いたいようで、電話番号を教えてくれと言うので、紙に書いて渡してあげました。電話できるわけではないのですが・・・気が済むように!

     

    ハッチが「おじいちゃんげんきになってね」と書いた手紙を目がほとんど見えないので読めないんですが、胸のポケットにしまってしました。(それを電話番号が書いたメモだと思っているんでしょうが)

     

    今日も夢の話はでますが、変な妄想は出ませんでした。(毎回冷や冷やします)

     

    老健施設では入所している方に対して、介護師さんや看護師さんの数が少ないので、本当に大変な仕事だろうなと現場を見ていつも思います。

     

     

     

     


     

    相模原のおじいちゃんのお見舞い<外出>

    実家・家族・施設 - - らぴす(ママッチ)

     

     

    ママッチの父(相模原のおじいちゃん)の施設のお見舞いに行った時、それほど暑くなかったので、外出届を出して近くの公園に行きました!!

     

     

     

     

    最初は、家の権利書がどうの・・・と妄想入っていて、すごく怒っていて、きついな〜と思っていたんですが、子どもたちがタイミングよく「おかあさ〜ん」と呼んでくれたので、大変なふりしてちょっと距離を置いていると父も落ち着いたようで・・・

     

     

     

     

    「○○さん(パパッチのこと)は元気か?」と普通に戻り安心しました。

     

    妹と弟にラインで父の写真を送り、「妄想しんどいわ〜」と送るだけでも自分だけが背負ってるわけではないと思えるのでそこはありがたいです。

     

     

     

     

    そして、何より子どもがいてくれなかったらそれはそれはしんどすぎてしょうがなかったかもしれません。

     

    施設のお見舞いにはいつも子供を連れていきます。

     

    無邪気に遊んでいる姿があるだけで、空気が変わります。

     

    私は、必ず父の背中をマッサージするようにしています。(気持ちいい〜と言ってます)

     

    髭を剃りたいからカミソリを買ってきてくれというので、「刃型のは危ないから施設に持ち込んじゃだめなんだって、だからシェーバーでやるね」と言って髭を剃ってあげると喜んでました。

     

    そのあとは髪を切りたいとまた言い出したので、「わかった。月に一回散髪屋さんが来てくれるからそのときカットしてもらうように申し込んでおいたから」と言うと頷いてました。(あ〜よかった。怒らなくて!)

     

    義母と義父は家事はできないので、正直しんどいですが、子どもたちがいてくれるから世話できるんだろうなとつくづく思います。

    子どもたちは義父と義母になつくとまでは行きませんが、ときどき「おじいちゃ〜ん、おばあちゃ〜ん」と相手してくれます。

     

    それだけでも家の空気がよくなるというか、、、子どもが小さくて逆に良かったと思うところですきらきら

     

    新潟予備軍研修会の帰り

    実家・家族・施設 - - らぴす(ママッチ)

     

     

    3連休の真ん中で予備軍研修会(新潟)が開催されて、ホテルに一泊した翌日、関越道・東名経由で帰ることにしました。

     

    新潟では気温27度という表示でしたが、群馬県に入ると35度!暑い暑い〜

     

    でも、父の生まれ故郷の群馬を経由して赤城山を見ることができて、父方の祖父母が喜んでいるような気がしましたニコッ

     

     

     

     

    関越で渋滞があったりして、なかなか神奈川県につかない・・・

     

    ハッチとナナッチはしりとりをしたり、トンネルに入るとタオルで隠れるゲームをしたり、それなりに楽しくしてましたが、お菓子にも飽き飽きしたのか、ハッチが「レストランで食べる!とんかつ食べる〜」と言い出し、しょうがないかと入りました。

     

     

     

     

    なんとか、母親の入院している病院に辿りつき、行ってみると、なんか父親と離れて気が楽になったのか、明るくなってました。

     

    しかも、今夜退院してもいいんだけど、明日の朝にするわ〜と???エリザベス

     

    そして、「お父さんのとこはおねえさん(ママッチのこと)にまかせたわ〜」とせいせいしたように言ってました汗

     

     

     

     

    現実を受け入れられない人の場合は、認知機能が低下したほうが、ある意味幸せなのかなと思いました。

     

    それほど、現実の世界が辛かったんだと思います。

     

    父の病気の心配、お金の心配、自分のこと、弟のこと・・・自分が健康ならなんとかなることも、自分も難病なのに・・・というしんどさが常にあったと思います。

     

    父親が愛知県の施設に行ったことも忘れてました。

     

    父親は自分をどこにも連れて行ってくれない不満、いたわってもらえない不満。母親は、自分も病気なのに人の世話なんて出来ないという不満がつもりにつもっていたのかなと思います。

     

    家には帰りたいでしょうが、3食ご飯が出て、自分は何もしなくていい状態はある意味快適な部分もあると思いますニコ

     

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